グリザイユの果実

啓蟄の候、いかがお過ごしですか?らばたの虫たちも順調にアップを始めています。アップ中ということはまだ、本番ではないということです。本番ではないということは、研究の時間を取れるということですいやはやく本番やりなさいよ

いま、また、絵に向き合っています。自分の絵をなんとかしたい、なんかが足りないのかゴールの場所が違うのか、はたまた技法が違うのかチョイスの仕方が解らない。Money can’t buy my love なんてノンキなヤツにラリアート3回(懐

だからまずゴールを探さないといけない。自分は何をしたいのか。ワタクシを代表とする多くの愚か者はここで「技法」を頼ります。

「自分の絵が上手くいかないのは、技法が違うからだ」

ノコギリでまっすぐ切れないのは、フォームが違うからだ。目玉焼きを上手く焼けないのは、卵の割り方がちがうんだ。人とうまく話せないのは、話し方の技が違うからだ。

このあたりは、間違ってはいないのかもしれないけど、合ってもいないです。後述ね。

さて。今日の挿絵は、普段の3倍ぐらいの時間がかかっていて、もう少し仕上げられそうではあるんですけど、その研究とやらの意味でこの状態でUPしておきます。

これ、グリザイユという技法でベースを作っているんです。グリザイユというのは、グレーで立体をつくって、その上に色を置いていくという水彩画とかでやる技法で、立体と色を別に構築できる利点があります。こんな感じ↓

でも、これ、確かに立体を作れるんですけど、この後色を載せた出来上がりがなんか違うんですよね。自分のイメージと違う。おそらく立体をもっとバチっと出せればちゃんとするんでしょうけど、自分がやるとどうしても「人形感」がでてしまう。

そこで、自分の絵とは、どうありたいのかを考えます。「自分は正しい立体をつくりたい」のか?否です。こんなグレーの肖像ではない。もっとエロい絵を描きたいんです。紅潮した肌。肉質。見てて興奮する絵。

だから、いわゆるデスノート(実はちゃんと読んだことはないの)の小畑先生みたいな、すごく上手い絵ってのを描きたい訳じゃなくって、なんかドキドキする絵が好きなんです。小畑先生の絵でドキドキする人はいると思うんですけど、自分はそうじゃないんです。

それで、この絵と向き合いながら、なんだろうなんだろうと、グレーの世界に身を置いて考えてみました。色の無い世界。早く色を置きたい。早く、水滴を垂らしたい。

……そうか

自分がやりたいのは、「演出」なんだ。

ブレイクスルーきました。だから、立体は速く通過したいんだ。

自分は、「演出」を描きたい。自分の演出は「ウソ」だ。だから、正しい立体に縛られるとウソが描けない。説得力のある描写は必要だけど、割合としては半分を超えてはいけない。

つまり、のこぎりで上手く切れないのは、フォームを気にしすぎて、自分は何のために切ろうとしているのか、まっすぐ切る必要は何故あるのか?が見えてない。

目玉焼きは、半熟にしたいのか、ふっくらしたのが良いのか、だったら温度は冷蔵庫でいいのか?自分が食べておいしいのか、誰かに食べてもらいたいのか?だとしたらその人はどんなのが好きなのか。

上手く話したいのは、何かを正確につたえるためか?仲良くなるためか?バカにされないためか?その人に何を渡したいのか。

技法に頼るものは、ここが丸ごと抜けがちです。マニュアルどおりにただ抱き合い 愛がないことに気がつかない。

自分が何故、演出をしたいのか。それが自分が一番興奮するからで、皆さんに届けたいものだからです。モノクロの表現でも同じ。どのように、演出すれば、自分が、みんなが、興奮するか。その為に、何を描くか、何を描かないか。

ゴールがここなんだ。愛。

愛の果実。果実の愛。

彩果の宝石(埼玉銘菓