本質という名の迷宮

花粉飛んでますか?自分は基本ヒキコモリなので、それほど影響は受けない筈だったのですが、去年の大黄砂襲来でデビューしてしまったみたいで、今ちょっとだけ目がかゆいです。土日は娘様つれて公園が多いのも追い打ちっぽいです。でも、去年ほどじゃないのはやはりR-1のおかげ(信者

先週「自分は絵を立体的に描きたいのではなく演出をしたい」という、知った風なブログを書いてみました。つまり「自分が絵を描く本質は、えろ演出である」というような結末だったのですが、この「本質」って言葉が気になってまして。(え、なになに

「本質」ってのは本来、物事の重要な要素で、一般的に「多くの人にとって重要である」という意味に感じません?高石にとって「演出」が本質であっても、他の人の絵には演出は本質ではない、うーんと、例えば、写真みたいに描くことが本質って人がいるって可能性はアリよりのアリ(うわ)じゃないですか。

とするとこの「本質」って思ってるのはつまり「自分の第一希望」でしかないんですよね。

今日の冒険の入口はこんなところにクチを開けてたんです。呑まれてみます(ぎえー

「第一希望」と「本質」

いったん、「本質」を「ボクの第一希望」に置き換えて考えてみます。

自分にとって絵を描く第一希望は、紅潮する女性の肌や、そこを伝う水滴のようです。先週、これを「演出」と呼びました。つまり、絵を描く理由=自分の第一希望は演出をするためなんだろうな、ってことで、落ち着いたのです。

そしてアタシは、自分のこの考えのまとめをこの今日のブログに記すべく「自分の本質は演出云々」みたいな書き出しを先ほどしたんですけど、

「あれ、本質って用法ちがくね?」みたいになってるのが今です。

それで、ああ、「これ本質でもなんでもなくて、単に自分の希望だな」って思って、「第一希望」と呼びなおすのです。

が、第一ってことは第二第三がある訳ですよ。複数あるんだったらいよいよ「本質」じゃなくない?ってことになって。だって本質は一つっぽくないですか?

具体的に。「高石の絵を描く第一希望は、肌や、水滴による演出」とします。で、それに対して「まとわりつく黒髪」「ちょっとすねた表情」みたいな第二第三希望が続きます。

とすると、これら全部を合わせて「本質」と呼ぶんですかね……?ってなってる訳です。

「ハンバーグ&エビフライ」

突然のびっくりドンキーです。例えば、ハンバーグランチ。作り手の提供しようとする第一希望(=メインおかず)はハンバーグ。サブテーマは、謎のポテトに冷凍ブロッコリー。となるとこのランチの本質は「お腹すいたでしょ。ウチのハンバーグ、好きだったよね」になるのではないでしょうか。

かたや、エビフライ&ハンバーグ。もはや、ハンバーグより先にエビフライが来ています。作り手の第一希望がどっちかすらわからない。だってこのエビフライは単体でも勝負できるレベルのもの。しかも「びっくり」。これは魅力的。

となると、このランチの本質は「見てこのエビフライ!ハンバーグと揚げ物って合うよね!?しかも、タルタルも美味しいよね!一緒に食べたいよね!」という食欲を満たすというレベルより一つ上がってエンタメになる。

つまり前者の「本質」は「お腹を満たせ」で、そこにエンタメ性はあまりない。吉野家やファーストフードと同じ(いや、好きな人は好きでいいのよ、解りやすいタトエね)であり、後者の本質は「食を楽しむ」というところにあると仮定します。

「スキの共有」楽園パラダイス

今回の思索の冒険は「本質」という言葉の意味というか、自分の思いにぴったりはまる言葉を探しています。ここまでを整理しましょう。

自分の使っていた本質という言葉は、単純に「自分の希望、自分の描きたいこと」だったみたいです。でも、前述のハンバーグの例になぞらえると、自分はお腹を満たしてほしいだけではなく、そこに何か、喜びというか、良い経験をして欲しいって思ってるみたいです。

で、その「お得な良い経験」というのが「高石の好きなもの」と被ったりすること、つまり自分がこれいいよね、って思ったものを見た人と共有できることが嬉しいみたいです。

つまり、「大きな胸の女性の絵がみたい」というのは、言ってみれば「お腹がすいた」な訳です。これは、高石絵でなくてもいい。

でも、高石の絵で、っていうのは、ロイヤルホストではなくびっくりドンキーを選ぶことに似ていて「お腹がすいたからいつものドンキ行く」ってところまでも、OK。理解できる。

で、高石ドンキに来ましたよと。メニューを見ると、ハンバーグしかなかったと。まぁ、それでも好きだから良いから食べるけど……っていう状況を、アタシは求めていない。お客さんには「そうそう、これだよね!」っていう時間を味わってほしい。

とすると、ハンバーグと揚げ物を一緒に(好き)出したり、パスタとハンバーグが一緒に(大好き)、しかも生野菜がどっさり(健康になった気がする)、小さめのピザがあったり(頼んじゃう)、となってくれば、それはもう、楽園な訳ですよ。

これらの楽園ってのは、あてずっぽうでいろんな料理を出せばいいのではなく、「高石が好きなもの」である必要があって、そこに明確な「自分これ好きなんですよー!」をお客さんに提供すべきで。

だから、高石が「大きな胸の女性が好き」に加えて、「長い黒髪が好き」「ちょっとすねた表情が好き」さらには「水で滴る感じが好き」「赤らめた頬が好き」があって。みなさん、これどう?アタシ好きなんだけど!が、高石の絵の本質であるべきだというところに今たどり着きました。

大広間に通じていた

このダンジョンをめぐってきて、「高石は何故絵を描くのか=見る人に楽園を提供したい」というひとつの宝にはたどり着けました。そしてそれは「高石の好きな食材を使って提供すること」です。

で。重要なのは、ここが「あなたにとっての楽園であること」です。フランス料理しか食べない人、菜食主義者、ラーメン大好き人、この人たちの楽園を、自分が作る必要は無いんです。できないですし。それに高石は菜食主義者ではないからスキを共有できない。キャベツの千切り超好きだけど。

そして。

こんなあたりで今日は締められるかなって思ってたところ、一気に視界が開けました。

「創作って、基本的に、スキの共有なんじゃない?(主語大」

多分、多くの冒険者(=創作者)は、自分のスキを、だれかと共有したくて、描いてる。でも、こんな近くにある答えに気づかないから「物語の作り方」的な本を読み漁ったり、「魅力的な絵の描き方」を探しまくる。

でもそこに、答えは無い。だって、アーティチョークとか訳の分からない食材を使ったフランス料理の作り方が延々と描いてあるだけだから。

ここしばらく悩んでいた「高石の絵とはどうあるべきか」は、「明暗的に、デッサン的に、正しいものをお届けする」ことより「高石の食べておいしいもの、好きなものをお届けする」「高石の好きな組み合わせをお届けする」ということに全力シュートするべきで、視線誘導だのパースだのってのはその後に来るものなんだと。

お届けするものが決まってないのに、パースやったって綺麗な背景が出来上がったところで何の意味もない。

創作の本質は、スキの紹介なんだ。

コミケの机みたいに、自分のスキを並べて、歩く人にアピールすることなんだ。

今日もなかなかの冒険だったぜ(結論、そこそこ普通だけどな