足る者と足らぬ者

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セミ、鳴いちゃってます。夏真っ盛りの昨今、いかがお過ごしですか。エアコンにガンガンに踏み切れない分、ちょっと難しいアフタヌーンをすごしがちの高石です。

プリキュア本のほうが終わりまして。で、ただ、えへへえへへタノぴー!ってやってた訳じゃなく(いや、やってたかもですが)、漫画製作における進捗を毎日記録していました。ああ、自分はこういう風に作ってるんだ、と、俯瞰で見れたので、今後の製作の逆算に大変役立つことと思います。よかったね、僕。

DL新作は、最後の選択を行っています。町で起きた事件を描くか、ちょっとした冒険を描くか。文章モノは、時間進行を扱いやすい(気がする)ので、冒険モノも良いなぁとか考えています。ピラミッドの中をさまよったりしたいです。ここんとこ、スケール小さかったしね。

よしなしごとのコラムんぐです。今日、月末と気がつかずに、うっかり郵便局行ったり、銀行へ行ったりしてしまいました。たった小一時間の間にこんなにバラエティにとんだ方達に出会えたんです、というオハナシです。

まず、郵便局入り口の真ん中でカバンの中身を探して、動かなくなるオバちゃん。通れない。コンビニのお支払いでは、受領書を投げてよこす女学生アルバイト。スーパーのレジで渋滞中、先頭で自分で買った野菜の産地をしつこく聞いてるおばあちゃん。帰り道、自転車置き場の出口をがっちり塞いで路駐しようとするオジサン。また通れない。

僕は人として未熟なので、目の前でコレされると、イラッとしてしまいます。でも、つっかかったりしません。ストレスとして自分の中に溜め込みます。しかし、何であの人たちは、ああいう事をするんだろう、なんて、考えるのは全く無駄なのは知ってます。どうしてヤギは草食うんだぐらい当たり前体操だからです。

逆に、自分はどうしてイラっとするんだろう、と考えました。それは自分が「足らない」からではないかと。オバちゃんには真ん中を塞がないで欲しい、は、極端に言えば、僕に気を使って欲しい、ということですし、女学生には丁寧に渡して欲しい、など、ようは「僕を尊重しろ」ということです。

これは、とりもなおさず、僕が普段「僕に気を使ってくれる人が足りない」と思っていると、証明しているのではないか、と。僕ぐらいの年なら、伴侶であるとか、家族であるとか、そういった者たちが近くに居てもおかしくないのですが、現状はそうではないので、イラッとするのではないか、と結論付けました。

つまり、横柄(っぽいようにみえる)人は、足らぬ者から見た場合、なにかしら足りてる者であることが多いのではないかと。だからイライラも倍増するのかと。じゃあ、足りてるとはどういうことか? そりゃキュアビューティがウチに居てくれれば(何体か居ますけど)ほとんどのことは解決しますが、普通に可愛い奥様が居てくれても、足らぬ状況って発生するかと。お金がいくらあっても、そうかもしれない。

とすれば、足りてるとは、今、それなりに楽しい暮らしを送れていることではないか、と。すなわち、これ、足りるを知る、と。故事にある「足るを知る」とは、努力しなくていいよ、という意味ではなく、努力する余地がある現状を幸せに思えという解釈となりました。

あれ、キレイな着地。来週は多分、新作の方向性を語ると思います。ピラミッドは、らばたの世界にあるのかな……あるよね。神殿はあるからね。