モノガタリ☆ハウツー

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 朝晩の冷え込みがガッツリその気になってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。完全に曜日の感覚がマヒし始めております高石です。先週は新作がありました。買ってくださったかた、本当にありがとうございますm(_ _)m 皆様のお声を支えに、日夜がんばれそうでございます。

 
 さて、今週の日誌は、ちょうど小説後なので、こんな考えをまとめてみようと思いました。「物語の製作について」です。私の本棚には「ショウセツノカキカタ」「シナリオについて」「ハリウッドリライティングバイブル(←お約束)」などの本がありますが、これらはいわゆるハウツー本ってやつです。私にはハウツー本大好きだった時代がありまして。でも「合コンでモテる本」とかはありません。
 
 なんで合コンの本は無いかっていうと(え、そっちの話?)

あれは、カテゴリ的には娯楽本に入れるべきだと思うんです。好き勝手なトリビアみたいなことが書かれていますし、筆者の思いつきを活字にすると、こうも偉そうになるものか~、とするのが本来の読み方じゃないかなと思うんです。
 
 それをクソ真面目に実践しようとすると、まさに新喜劇な現場が出来てしまいます。イタリアンシャツを着くずして、声のトーンを落として、優しく、言葉少なめに。でも鼻毛が出てるうえに、会話が「それってガンダムにたとえればガンタンク的存在だよね」。本にガンダムたとえ話はするなって書いてないですもん(・・・。)
 
 なのに、なんで私は、物語製作にそういうハウツー本を求めたのでしょう……自分で考えて見ました。 もちろん「もっと面白いものを作りたい」という欲求から手を出したのだと思いますが、その反面「量産に役立つかも」というずるい思いもあったと思います。「楽な方法が載っているかも」って思ったのかもです。
 
 で、何年間かやってみまして、それらの物語ハウツー本のハウツーをまとめた答えが出ました。その答えは、多分創作をされていない方でも想像できる範囲のものです。それは「プロットをきちんと書いて、山あり、谷あり、こんなキャラクターを出して……」さらには、「お話はこんなパターンがある!」とかいってそれになぞらえて、舞台とキャラを変えたらできる、ってやつまでありました。
 
 物語類型の考え方は否定しませんが、これは製作者がクソ真面目にとらえちゃったら、とんでもないことになります。というのもですね……お客さん聞いてください。コレが私の見つけた答えです。”構成理論、いわゆるハウツー的な知識は物語創作のうちの2割もなく、残りの8割以上は「製作者のモチベーション」である”なんです。あああ!今コケましたね!ひどいです!私が血ヘド吐いて見つけた答えを~~~!をおおお!ワショーイ!
 
 ……すみません取り乱しましたm(_ _)m つまり、そうやって昔話とかのベースにキャラを変えて、たとえばイヌサルキジを萌えキャラにして、テニスのプリンス島に侵攻するガリガリガリクソン(……あれ、読みたいぞ)の話とかを作るのが好きな人は、多分「楽しい」と思います。でも、オレ様の世界を作るんだ!って人には、それ全く楽しくなくって、「その方が楽だよ」なんてそんな助言はまるでノイジーなんです(←カッコイイ) そんなんじゃなくって、欲しいのはあふれるアイディアを整理する方法や、それを随時引き出して、自分がわくわくしていく方法です。
 
 だから、物語の作り方は、最強のモチベーションを自分の中に手に入れることだと思うんです。いえ、モチベーションというと少し範囲が広がっちゃいまして、「カネの為に書く!」とかって類のものでなく、「この子の可愛さを描きたい!」「ドラゴンの怖さを描きたい!」みたいなこの強烈な「描きたい!」を「見つけ」て「理解する」ことです。
 
 でも、コレって解りそうで解らないんですよね。何を書こうかって考えると、「自然を大切に!」とかになっちゃう。だから、とりあえず描きながら、それをさぐる前段階があると良いですよね。いわゆるラフ書きみたいな。……はい、こんなもん、誰でも知ってることですけど、オトナからはじめるとコレを軽視しちゃいます。ここ8割です。ココなんです。「何を描きたいのか自分が知ること」じゃないかなと。あとはオトナとして生きてきた経験が、勝手にお話にしてくれます。(言い切ったね
 
 長くなっちゃいましたので、シめますよ合コン話で(え)。モチベーションが低い時。でもとりあえずこの女の子持って帰りたい時(おいこら)って、そういう「テク」に走りがちです。でもこっちも楽しんでないから、うまく行っても行かなくても、どっちでもいい結果に。コレ最悪です。
 
 で、問題は本気で持って帰りたいと思ったときです。強いモチベーション、いや欲求が働いている時。ここで哀しいかな、オトナってやつは「慎重に行く」を選んだりします。嫌われないように、石田純一の教えを守り、相手を立てて、話を聞いて、おだててすかして……。私はコレで成功したことはありません。本気で持って帰りたい相手の時は、もう「自分に興味を持ってもらえなかったら仕方ない作戦」です。言いたいこと言います。相手の悩みに本気で乗ります。自分はこういうのが好きで、こういう風にしたい。そしてキミをこうやって楽しませてやる!ってまじで考えていることをちゃんと言います。持ち帰り率の高いヤツ(←あたしは低いわよどーせ)は、嘘が上手いんじゃなくて、本気で持って帰りたい!って「思う」のが上手いんです。
 
 ……えっと強引に、物語製作に戻ります。ハウツーのテクに自分を合わせ始めたとたんに女の子は、じゃないや、読者はそのハウツーの人の作品を読むことになっちゃうんだと思うんです。前途の、たった「2割」の力で構成された文章は、物語じゃなくってレポートと呼ぶべきです。物語って、強烈な「描きたい!」だと思うんです。よく拝見させていただく小説サイトさんがあるんですが、何本もある小説のなかにみんな芯が通ってて、作者さんの空気みたいなものがずっとだだよってて、ああ、こういうことなんだなぁ、って、いつも思います。
 
 新作は、この二つの考え方「物語っぽいカタチ」と「オレサマの描きたいもの」の間を行ったりきたりしながら書きました。最後には美歩に、というか彼に、夏の終りの思い出を刻ませてやりたい、彼が、彼女が生きていく中にきっと支えになるだろうから……、という思いが勝ちました。描きたいものを描こうとしたら、ああいう終りになったんです。

創作って、多分、コレで合ってるんだと思いました。根拠なんか無いです。 

ハウツー本を読むなら、この「後に」読むべきなんですネ。