CGノベルの製作って、構えちゃうと難しい。何が難しいかって、前のCGと次のCG関連性が、私には一番なやむところ。例えばマンガは、前のコマが次のコマをひきづり出してくれる。ストーリーというエンジンが走り始めると、描くべき絵が勝手に出てきて、こっちもノッて来る。イケイケになると、絵もパーンと張ってくるきがする(←ロクにマンガも書いたこと無いクセに
でもウチみたいに、CGの連鎖でひとつの物語を作ろうとすると、勝手が違ってくる。
「CG」に「ノベル付き」。「ノベル」の「挿絵」ではない。よーするに、これはビジュアル先行の着想の場合が多い。私の場合も、先にえろいシーンがあって、それがラフ段階でトンどん育っていく感じかなぁ。物語にしようとして、物語のエンジンが回り始めてくれれば、引っ張りだしてくれる場合もあるけど、そうするとどうしても遊びゴマ(たとえば、画面全体おっぱいのUPとか、カメラワークとか)が欲しくなる。CGを連鎖させると、遊びゴマはどう処理するかは絶対的に重要な問題になる。
物語というのは、「あるヒトツのシーンに向かっていく過程」と言えるかもしれない。CG集は、どうしても、そのクライマックスシーンばかりの絵を描きたくなってしまう。マンガで言えば、最初のページから全コマをキメゴマで、イラスト状態のレベルまで書き上げ、それで物語を綴れってことになる。だって、お客さんは、「このCG一枚にもお金を払ってくれているんだ」そう思っちゃうと、捨てゴマなんか描けない。お客さんの目的は1に「CG」だから。物語は2だと思う。
捨てゴマ、遊びゴマの無い「物語」。これでは、自分の中では理解できる物の、お客さんも楽しめる物語を入れるのが難しくなっちゃって、結局読み手のコトを考えての作業が、余計に物語として、そして作品としてワケわからなくなるという逆効果だ。だからみんな、CG「集」になるのか。分断された物語を「感じさせ」て、寄木細工にしてひとつの形を作る。
ココだ。物語好きとしては、CGどうしを場面的なつながりで考えてしまう。6枚使って1シーンを構成しようと思ったのは、まさにそこだ。これではお客さんにしたら、一番のクライマックスがくる準備をしちゃう筈だ。それなのに、描いてる方はほぼ全部クライマックス気分だから、お客さんと作者のコミニュケーションが成立しなくて、いっしょに盛り上がれない。良いシーンで一緒に「オォッ!」って言えない。どこがよいシーンか解んないもの。
・・・いっそ、絵の表面上の表現だけに全力投球して、物語なんか捨てちゃえばいいのかな?いや、そこは無い!そんな選択肢は無いぞ!
もっと、1枚絵の中に世界を盛り込むことで表現してみればいいのかな・・・でも、1枚に世界を盛り込むってのは、そう簡単じゃないぞ・・・って、そうか、さっき、思わずコミニュケーションってコトバが出てきたけど、これ、一番大事だ。構築するのは、ココからのはずだ。作品は私のコトバだから、お客さんに伝わんなきゃボエェ~になっちゃうのか。ソングオブジャイアンなのか。
(・・・こんなのチラシの裏にでも書けばいいってのは解ってるのよ(T_T) でもね、これ、「誰かに読まれる可能性がある」って緊張感が、より、解読可能な言語を使って記述しようとさせて、それが脳内整理にチョー役立つの。それにもし、こんなハズカシイ文章晒すことで、だれか同じ悩み持ってる人いたらなんかのイトグチになればって・・・だから許して町内会←寒)