雨の動物園

最近連休ありすぎじゃないですか(T△T) 怖いよう 休日怖いよう

日曜は、小雨の降る中、3歳長女と2人で、動物園に行ってきました。ヤギの餌やり体験やるーーー!!といって15分程並ばされたあと、ヤギにビビッてやっぱやめるーと敵前逃亡するなど、精神力はもちろん、脚と腰にもダメージを蓄積してまいりました。

しかし、見れば見る程、動物とはよくできているもので。お馬さんや牛さんの肩?のあたりのホネなんだか筋肉なんだかがすごく無理なく動くなぁと。まぁるく、つっかえないように、ロータリーエンジンみたいに。でも、あの狭いゲージの中では、6速ギアまであるのにずっとローギアで走ってるようなモノでしょうから、その素晴らしい構造も不完全燃焼もイイトコだと思います。

また、久しぶりに気温も低く、人間にも動物たちにも快適だったようで、カワウソ的な家族が砂にまみれながら、ムキになって遊んでおりました。6体ほどで、子供っぽい大きさのが4体。4匹?。体を砂にこすりつけてグリグリしてたんですけど、あれ痒いのかな?それともああいうプレイなのかな、みんなでやってまして。で、大人っぽいカワウソが場所を移動すると子供もついていく。今度は違うところでぐるぐる走り回る。楽しそう。

そういえば。ラーバタスのモンスターたちは、女性を襲ってない時は何をしているのか?多分、ボケーっとしてるか、好き勝手してると思うんですよね。

自分のイメージなんですが、基本、彼らにはあまりストレスは掛かってないと思います。食べ物も、縄張りも、それなりにあまりあるので。人間でいえば、絶景自然の中の好きなホテル勝手に泊まっていいよ状態だと思います。そこへ美人でグラマーなホテリエ(ホテルマンの女の人バージョン)がお部屋トントンしてくるわけですからああああいいなぁああああモンスター達ィィィィイイイ

そうじゃなくって。その、動物たち、砂まみれになっていたり、餌の中に石や雑草が入っていても、あまり気にしてません。この部分だけじゃないんですが、他にも、なんとなくなんか、彼ら(=動物さんたち)にとって、自然というか、そこにあるもの、餌や、人間があつらえた建物を含め、それらと自分たち動物との区別をしていないように見えたんです。

動物園ですが、こじゃれたカフェらしきものや、休憩所もあったりして。私たちの目から見れば、これは明らかに自然のものでは無い。そして自分たち人間は、「この建物と自分が同じ」とは多分考えないと思うんです。「自分とは別の何か」ですよね。

だから、そこが汚れていようと、燃えていようと、実際のところ、関係ない。

じゃあ、動物たちは、自然と自分を同じと感じているのなら、自然が燃えていたら何とかしようとするか?残念ながらその知恵はないです。あったらするかもしれませんけど。

でも、彼らの思考はもう少し高次元じゃないかなって思うんです。自然は燃える可能性があるものであるのなら、それは燃えるよね、その結果、自分たちも死んじゃうかもだよね、それ結構普通だよね、って思ってるのではないかと。

私たちは死をそこそこ恐れますよね。恐れない人もいるのかもですけど。自分はもう少し死なないで、創作を続けていたいですし、娘ーズや妻様との時間を過ごしていたいです。だから、死を恐れます。

でもそれは多分、前述の「自然のサイクルと自分とは別の存在」と考えているからじゃないかなって思ったんです。宇宙や自然から切り離されているから、死ぬという、やり方を知らないものはどうしていいか解らないから、怖い。

でも、「自分が自然と同じ」なら、死ぬものは死ぬし、また生えてくるものは勝手に生えてきます。動物たちは、その大きなサイクルの中に自分が存在していて、自分はそのサイクルの一部であることを認識してるので、死に対して人間ほど恐れていない気がします。ちょうど、自分の体の中の細胞のいくつかが今日死んでいくことに対して、自分はそれほど恐怖を感じないのと同じかなって(ふーん

ラーバタスのモンスターも、こんなに達観してるのかな?って思うと、それはそうじゃないだろうなって思います。このあたりはもっと低次元。人間に近いかと。

そうなってしまった理由は、人間の女を味わってしまったからです。自分と自然を切り離しているんじゃないかなって思います。だから、死ぬのは怖いかと。死ぬのが怖いから、快楽をより求める……のかなとか

逆に言うと、だから、ラーバタスのモンスターは魅力的で、そういう部分を描けたらいいなって、もう歩けないよーつかれたよー半べそで泣き言を言いつつ(言ってたのはオマエか)、3歳児に走れえええーーーってドヤされつつ、考えておりました。

キッズ無限体力