習慣という呪い

ようやく下書きに入れました。がんばれおれ!( ゚∀゚)ノ

ちょうど世界がそういう時代に突入したからなのか、TwitterがXになってから、ちょっとえぐい情報が多くて、SNSを見てると精神力がごっそり持っていかれます。だったら見なきゃいいんですけど、新しいバイクの情報を一番摂取しやすいので、見てしまいます。

でも、バイクの情報だけなら、Googleのおすすめにも出てくるので、なんとなくスマホを開いて一番にXを開く必要はない訳です。でも、指が自動的にXをタップします。自分は何者かに遠隔操作されています(陰謀論

バイクと言えば、先日ビックサイトの、モーターショー改めモビリティショー2023にお邪魔してきました。事実上のEV発表会でした。モビリティショーは、バイク縛りではないのですごく色々な乗り物があったんですけど、……正直、乗り物はつまらないほうへ向かってるような気がしました。

というのは、自分にとって乗り物はスマホじゃないし、企業の環境配慮証明でもない。いや、道案内ナビが充実したり、燃費が下がったりするのは助かるんですけど、そこ頑張ってるからデザイン微妙でもいいよねとか、航続距離伸びますけど時速30キロしか出ませんとか、そういうのはあんまりワクワクしなかったです。

4年ぶり開催だったのでワクワクもんで行ってしまったのですが、もう、しばらく二輪の方だけでも良いかなって思っちゃいました。でも来年になったら忘れていきそう(マジか)

突然ですが。歳をとると、色々考えるのが面倒になりません? 自分まだ若いのでわかんないですけど(まだ言うか)。今までやってきたことをそのまま惰性でつづけちゃうみたいな。

いや、まって、これ、歳をとると、っていうか、脳に思考メモリがたりなくなると、ってことかもです。お仕事とかで毎日忙しいと、考えるのが面倒になって、本当は無駄な事でも続けてしまうみたいな。これは呪いです。

しかし、「万物斉同」という考え方をご存じですか?この世の事象はすべてフラットで、事象に良い悪いはないよ、という考え方です。

たとえば、テレビ見ながらハサミで紙を切っていたら、不注意で手に怪我をしてしまった。と。ああ、ちゃんと集中してやればよかった。一般的には、この怪我は「良くないこと」に分類されますよね。

歩いてたら1万円落ちてきた(それはそれでなんか怖いけど)と。それは「良い事」に分類されますよね。

でもこれらは、「自分が勝手に出来事に色を付けてるだけで、良い悪いは自然の摂理にとっては区別がない」ことです。ただ、ハサミが指を切ってしまった、という現象があるだけです。

それに1万円おちてきても、そこから良いことになるか悪いことになるか、どちらでも、その後の物語を考えるのは難しくないですよね。

なので、この「惰性」や「習慣」を呪いととらえるか祝福ととらえるか。

Xを見て時間を溶かした時の虚無感たら半端ないです。でも、その時間で何らかの情報やらなにやらを得たかもしれなくて、ただ、それが良い悪いは、やはり、自分で決めているだけです。

……でも、ほんと、Xはもう「おすすめ」になってる時は、誰かが誰かをなじる投稿にみんなが楽しんで乗っかってる図ばかりで、数分以上見る価値が無いかもってくらい、心がすさみます。よくない。ほんと。これにからめとられると、文字通り「呪い」になっちゃうなって思いましたよ。

今回の新作は、GoToシリーズなんですけど、このシリーズはまだ、惰性と言えるほど動き始めていないので、まだ習慣にはなってないです。それに、本の作り方もアイディア出しも全部毎回違う方法でやっています。

今回はいかに、「製作を習慣づけられるか」を考えながらやってみています。

呪いを上手に使いこなしてやる所存ですとも。