技を繰り出せるか

ブログを見返したら3/10に脳内革命が起きたようで、思考のツールというか、考え方みたいなものを手に入れたようです。もう28年も生きてきて(強烈にサバを読んでいます)ようやく……と、おっと、ここまで打って、ちょっと考えます。

モノの考え方とか、作品の組み立て方、作り方のセオリー、これらを以降「技」と呼ぶことにします。自分はこれまで、さまざまな「技」を見つけてきてるように思います。でも「見つけた」だけで、それを常用できる状態に持っていってないような気がするんです。

技というと武術や格闘技を思い出しますが、例えば、半歩崩拳(半歩進んで打つ短いパンチだと思てください)から始まって10ステップぐらいで完成する技があったとします。1か月くらい毎日独りで練習すると、出来るようになって、キレも良くなります。

でも、その後何もやらないと、キレイさっぱり忘れます。ステップを忘れてしまいます。

ただ、ステップは忘れてしまうのですが、崩拳を出す感覚は、しばらくたっても案外覚えてます。

実は自分、作品制作時に毎回「次にすんなり作れるように」、製作技法書を残しておくんです。で、実際にまた再開しようと思ってその技法書を開くと、こんなかったるいもんよめっかーーー!!ってなってしまう(読めよ)。もしくは、技法書をどこにしまったか解らない(管理しろよ)

技法書なくすのは最低として、読みたくないのはつまり、ステップが複雑なんです。製作再開時にその複雑なステップを踏襲しようとした結果、描くぞぞーー!って思っていたエロリビドーがどんどん失われていく。

これでは、せっかく身に着けた崩拳の威力も、無意味な柄モノ。使えない。

平和な昨今、1vs1、徒手空拳で実際に戦う事は滅多にないと思います。いや、他の国が攻めてきたらあるかも。でも、きっと鉄砲とかですもんね。間合いを詰めたり、拳で身を守る事ってまず無いですよね。

この「無い」ことが、良くないんです。日常的に崩拳で身を守る必要があれば、拳はどんどん研ぎ澄まされて、いつでも打てるようになる。

製作に置き換えると、「えろい絵を日常的に描く」「描かないとしむ」って所に身を置かないといかんのだと思うんです。その為の環境を整えて、戦えるようにストレッチをしておく。

そして技は、なるべくシンプルに落とし込んでおく。体の構造を繋げて打ち込む、だけぐらいに。そしてその核になる部分「構造で打つ」を体にしみこませておく。

液タブを外してから、絵を描くのが本当に楽になりました。なんか変な言い回しね。板タブだと、奇麗な線を引くのは大変ですよ。でも、絵にきれいな線は必須かどうか? 奇麗なカタチはあったほうが良いと思いますけど、線はさほどつるんとしてなくていいんじゃないかと思うようになりました。

新作、今やってるのは#04なんですが、夏コミ逆算して、2冊、頑張って3冊の布陣で臨もうと思っております。特に、モンスターツアーズはようやく落しどころが見えて来たので、ちょっと流れを練り直して、いったん別作品を……とも思っております。

技と環境、もう少し詰めます。