歯ですよ歯。正確に言うと、歯の下にある膿のカタマリ。おとといまでめいっぱい腫れて、口が開かずでしたそれもお寿司が食べられない開口度で。ビダイン&そうめんの日々でした。しかし今はようやく、ご飯は食べられます。お口全開は出来ないですけど。うがーーー!
でえ。今日歯医者さんいったらですね。やはりどこかで、やるしかないだろう、と。被せ物を一回とって、その下の膿を出し切ると。その間約1~2ヶ月。毎日痛いそうですいーーーーやーーーーー!!でも、このままでも治らないので、くそ、みなさん歯は大切に!!!くそ!!!
はい。絵のお話。ちょっと、塗りと線の関係について、色々試してます。うーん、ここでもよく言いますけど、自分の好きな絵は主線を使わない、油彩みたいな塗り。でも、えっらい時間がかかる。1枚描くのにざっと3倍以上。線を使えると随分仕上がりが早い。1人でやってる以上、作品にはこっちを使うべきなのは、「お仕事」としての是。
でも、油彩的な塗りで、慣れきってしまえば、時短出来そう。多分できる。それでもまだ、問題はある。「きれいな絵」として売ると、どうしたって、賞味期限が来る。どんな美しい塗りでも、時代の流れで、飽きられる。特徴的であれば、ソレは余計に顕著であると思う。
だから、らばたの作品は、毎回生まれ変わってるぐらいの勢いで、手探りしつつ、描き方、作り方を変えている。これはエジプト神話の太陽神の蘇生に基づく考え方であり、転がり続けるローリングストーン理論でもあるはい両方今思いつきましたーいまでーすそうでーすすみません
でも、「ある一定の技術レベルに持ち上げておけば、あとはそのままで安心」みたいなのは、全く無いです。いままで、どれだけの「絵は上手い人」が、消えて行ったか。ひょっとしたら、戦場を変えただけかもしれないですけど、とにかく、自分の視界からは消えた。デカい事言ってた人々も、がんがん消えた。とにかく、今自分が居るところはそういうとこなのだから、毎回作って、ぶち壊して、また作って、の繰り返し。
挿絵は、ちょっとそんな感じでまた手探りしてます。うん、この感じ、嫌いじゃないなー。次こんな感じでいこうかなーてかさーどうせもうじきさー3Dでもっと簡単にスゲー絵つくれるようになっちゃうんでしょー。だったらさー超時間かけて手描きで3Dみたく描いたってさー地デジ前にアナログテレビをフルチューンするようなもんじゃんーでもさーそういうのはさー描けてから言わないと説得力無いんだよねーだよねーだよねー。いいもん説得したい訳じゃないーしーさぁー
いいの。オレ流で。飽きられれば捨てられるだけ。でもさ。毎回死んでるんだから、また新しいやり方でやるから平気だもん。てか毎回死んでるんだったら今も死んでるじゃん。
ぞんびだ。