思索その2:椅子の無い牛丼屋

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問題は、「なぜ、プリキュアを描く時は疲れ知らずで描けるのに、作品を作るとなるとこんなにパワーを使うのか」 もしくは、なかなか作品が立ち上がらないか。もちろん、絶対的な枚数や作業量的なこともあるけど、その入り口の一歩めの階段が非常にでかい。

とりあえず冬コミに関して、「漫画を描かなくてはいけない」状況を考えてみる。
間に合うように「がんばらなくっては」。

あれっ?ここで気がつく。すでにこの思考が間違っている。僕がプリキュアを描く時、何も「頑張って」いない。
頑張るとは、「負荷がかかる状態に立ち向かう」という定義とすれば、プリキュアを描く時、僕には負荷が一切かかっていない。おなかがペコペコの状態で吉野家にたどり着き、大盛り汁抜き卵(=好き)をオーダーしているのと一緒で、うまいぞ~って言って食べてるときに、お箸を動かす、口を動かすことを「頑張ってる」とは言わない。

しかし、牛丼を食べるときに、空気椅子で食べなければいけないとなると、「頑張る」しかない。その際、隣の松屋には椅子があるなら、そちらへ行く。「頑張らないで」食べることができるから。この両者の関係を「空気椅子牛丼の理論」とする。問題解決のひとつのキーになる。

現在の状況を当てはめる。まず、「プリキュアを描かなければいけない状態」にあるとして、そこから「描く」にいたって、何らかの障害はない。あるとすれば、時間と肉体的な疲労の限界だけだ(しかし、これも歴代OP&EDのヘビーローテーションで限界突破が可能)。

次に漫画を「描かなくてはいけない」状態にあるとして、そこから「描く」に至って、なんらかの障害が邪魔をする。これを「不定要素」とする。この不定要素を解決しない限り、かなり「頑張らないと」描けない。事実、今まで作ってきた多くの作品は、この不定要素を、ロジックなしのチカラずくでねじ伏せて製作をしているような気がする。自分の体の一部を削りながら作ってるような感覚なんですホント。

いまや、自分の「絵を描きたい」という欲求は、自覚している。「空気椅子牛丼の理論」を当てはめれば、僕は作品制作からプリキュア絵に逃げている状況といえる。おなかはすいてるから、キツくないほうで、食べたい。それは正直、吉野家も松屋も、どちらでもいい。こだわってない。でも椅子がない方より、あるほうで食べたいな=「頑張らないで」楽しめればいい。

僕を「頑張らせようとしている」のはこの不定要素。つまりコイツをやっつける事、それが「頑張らないで描く」、「呼吸するように描く」ことにつながるのではないかと思う。どうするか?考えたってわかんないよ、直球勝負だ!ってなおちゃんならそう言いったうえに他の3人がうんうんって言いますけど、僕にはれいかがついてるので、大丈夫、そうはなりません。

まず、敵の正体を知りたい。この邪魔する「不定要素」とは!?いったい何者か!?次週、「敵か!?味方か!?結婚するって本当ですか?れいか、14歳の決断!」新郎は僕でェーす!お楽しみに!!