プリン賛歌

【制作と近況報告】

1週間早い( ゚Д゚) 昨今のらばた業務は、例の新作のプロットつくりと、らばた全体の設定整理をしています。

多くの創造神(=世界をつくるひと)の中でも、設定をやたら凝るタイプのモノは、なかなか物語を作れません。何故なら、物語は設定ではないからです。知っとるわ!!!

早く進めないと、30エーカーのお庭の木の剪定ラッシュになってしまいます。30エーカーってどれくらいなんだろ

【1:昨今のブログ記述がちゃんとしている高石】

そう思いません?(知らんがな)

このブログは基本、高石の生存証明なんですが。色々途中で投げ出している高石の割りに、このブログだけは2009年から……え!!?2009年??14年やってんの???すげくない???

続いておりまして。

で、この文章、書くのにやはり、それなりに時間使うんです。でも、時間は使うけど、頭は使いたくないので以前のように、頭に浮かんだことをよしなしと綴ります。文字数制限のないツイッターみたいなもんです。

(……でも、あの文章、あれはあれで高石の痛さがダイレクトなので、そこは面白いんですけどね)

せっかく時間を使うのに勿体ないと思い、14年目にしてようやく、意識改革をしている次第です。

【2:ちゃんとしたブログ文章とは?】

「プリンは甘いよね。なんでだろう?」ってはじめて、その甘みは砂糖だよと。思ったよりドバドバ入ってるよ。って問題を解決したうえに、「実は栄養価も高いよ」みたいに豆知識でも入ってれば、それなりに読み手も時間を投資した甲斐があると思います。

また「高石は最近、お財布を落としたよ」ってはじめて、「見つかったよ。上着にいれたまんまだたよ」は、ハラハラからのハッピーエンド、もしくは「見つからなかったよ、大事なものはきちんとしよう」みたいな教訓エンドで、これもまぁ、「ハラハラ」をお届けできたなら良いかなと。

ちゃんととは、読み手の投資した時間に何らかの意味を持たせる事かなと思いまして。

【3:ちゃんとした「作品」】

上記の意味で、らばた作品は、ちゃんとしている事を目指しています。

ただ、異種姦というジャンルが強烈なので、そういう絵があればとりあえず成立してしまうことに、あぐらをかいて作家気取りだったことは否めません。イナメ村ジェーン

だからちゃんとしようとして「設定には矛盾が無いように」頑張ってた訳です。

しかし。しかしですよ奥さん。

「プリンの甘みは、実は、崎陽軒のシウマイ弁当を食べた後に最大化される」というトンデモエンドの物語の場合。

矛盾が無いように敷き詰めた設定などぶっ飛びますし、それが実際そうなのかどうなのか、どうでも良いです。だって「高石がそう思ったからそう書きました」が通用してしまうのだから。

それに、読み物としてはこっちのほうが面白い。バアァン。

【4:必要なのは「型」】

「シウマイ弁当を食べた」「プリンを食べた」「いちばん甘かった」「甘いのは何故?」「栄養価が高い」など、これらのキーワードをどの順で繋いだら、効果がでるか。

それが「型」で。よくある「序論、本論、結論」みたいなやつです。「起承転結」も型ですね。

そうです。高石、このブログで型稽古をはじめています。

【5:伝えるから伝わるへ(本のタイトルか)】

いくら最高のアイディアを持っていても、伝える術=そのひとつが型、を持っていなかったら伝えられません。伝えられないのなら、アイディアを持ってないのと一緒です。

「足の痛みは、背中に原因があります」ってのはマジほんとなんですが、伝える術を持たなければ、これは伝わりません。

*足の膝裏あたりが痛い人(坐骨神経痛予備軍)のひとは、肩甲骨下、背骨の両側にある筋肉をもみもみして。随分違いますよ。それとふともも前側の可能性もあるからそっちも*

でも、無難な思いつき、例えば「早起きをすると眠い」。これを「仕事の能率を上げたい」という話から始めて、「眠いけど、その分夜、早く寝るようになる」オチならそれなりに、許せる。カードを切る順序=型を使うから。

設定と物語の違いは、設定は思い付き。物語は型。

設定は心に伝わらない。物語は伝わる。

この意識をしっかり持つことが昨今の生きる指針です。

だっていつか、ムシュメに何か大事な事を伝えなければいけない時、箇条ガキでは伝わらないカラ。

(なんかイイこと言った感)