Auto writting Extacy

室温23℃とかあるのに、フットヒーター付けて、フリース着てます。だって寒いじゃん。
完全に体調がおかしくなってます。

娘様、現在短期保育なので、今は行って2時間ぐらいでうちに帰ってきます。マジ一瞬です。

在宅中は、アタシの姿が見えないと大騒ぎします。トイレに行くと一緒についてきます。ご飯は自分は食べたくない時に、アタシが食べるとブチ切れます。なので自分の食事は、彼女がTVを見てる一瞬で胃に流し込みます。がんばれおれ。

さて、みんな知りたい今週の高石ですが。

「物語(=文章)を読む人に伝える為には?」ということを、もうガチで考えています(IMASARA)。

もちろん、本棚にはその手の技術書はいくらでもあるんですが、今回一つの事に気が付きましたよ。それはとっても重要なことでした。

文章作成のポイントは、「伝えたいことは1つに絞る」です。そして「誰に伝えるか」を意識して「なんちゃらの型」にあてはめて、ということみたいです……?

ハ。知ってる。それ全然知ってる。

でも、あたしの悩みはそれで解決しない。なぜか?
今日の手記は、その理由と解決についてです。

いきなり結論行きます。文章作成の技術は知ってるのに、なぜ悩んでるか?

それは

「伝えたいことが、無い」

からです。ぎえー。

「ない」というとちょっと語弊モチですが、「1つに絞れていない」ってことなんです。そもそも日常などというものは、書くべきことで溢れていて(詩人か)。

冒頭の娘様日常の他にも、玄関のレモンの花がびっくりするほどすげえ咲き始めたとか、その葉の裏でテントウムシがご休憩代を支払わないで交尾してやがってとか、最近読んだ本が超絶つまらないのにベストセラーでレビューはすごいとか、ステンレスフライパンで目玉焼きを焼くときのコツを新発見したとか色々。

その中でいま、自分の脳というか、心情の多くを占めるのが娘様ハリケーンなので、それが冒頭に来たというだけで。

でも、それをこの、らばたの愛すべき常連様たちにどうしても伝えなければいけないかというと、別にそうでもない。

自分の事を自虐して語るのは好きだけど、家族の事をサゲたりして面白おかしく語るのはあまり好きではなく。だったら皆様には、FRBパウエル議長の発言についてを(それもいいよ

そういった意味で、伝えたいことが「無い」んです。どれも伝えられるけど、どれも特別伝える必要は無い。

でも、そんなこと言ったらこのブログは成立しなくなるじゃん(;゚Д゚)。

たとえば、「行きつけのバー」(あんのか)とかに行くのに「このお酒が飲みたいから」行く(こともあるだろうけど)のではなく、むしろ「バーに行く」そのものが目的でしょ。お酒別に何でもいいでしょ?

でも、「吉野家に行く」のは「牛丼を食べに行く」でしょ。「吉野家の味が好きだから」「すき家の味が好きだから」で。これ、バーにいくのとはちょっと意味合い違うでしょ。よし、お昼吉野家にしよう!って行ってミラノ風ドリア出てきたらちょっと違うでしょ(食べるけど

文章作成術の本の多くは、この、いかに「吉野家でご飯を食べるか」ってことが書いてあって。そんなもん、座ってオーダーすればいい訳で、「実はコールスローとの食べ合わせが良い!」「店員さんの動きのスキを見てオーダーする」「他のお客さんをジロジロ見てはダメ」とかそんなもんどうでも良いです。知らなくてもお腹は満たせます。マジでこういうこと書いてある本多過ぎです。

多分ね。こういう本にすがる人の何割かは「描きたいものが(多すぎて・少なすぎて)解らない人」っていると思うんですよ。

自分は、何かをここ(=このブログ、らばたノートの事ね)に、皆さんに伝えるために来ている、というよりも「ここに来るために来ている」みたいなところあります。

ここで文章や絵を描いて「何をしよう」とかじゃなくって、この空間が好きだから、アタシは来ています。だから、アフリエイトとかやらない。この、自分の好きな空間にスキじゃないものを入れたくないから。ブログで稼ぐ!とかもう全く興味ない。無価値であると自分が解っているものに価値を偽装してお金にするってのは、資本主義の中でも恥ずべき行為である(ブーメランになるなよ

そんな「伝えることを目的としていない人間」に「まず、伝えたいことを書こう」とか、ヘソで茶をティファールです(もはや原型不明)。

でも、「伝えたいことが無いのに、なんでこんな10年以上もこれが続いているか?」という疑問ですよ。

その、文章制作についてちょっとネットやら本やらひっくり返していたら、こういう、自分のブログみたいな書き方を「自動書記」って言うんだよ、との記事をみつけました。手で打ってるのに自動書記。へんなの。でも確かに、脳は意図的に動かしている訳ではない。だから自動なのかな。

自分はこの書き方が好きなのは、とっても刺激的だからです。ワオ! 書いてると、勝手にとんでもないところと繋がるのがすごく楽しいです(それがティファールかよ)

それに、もやっとした自分の考えが文章化することで輪郭を持ち始めるのも楽しいです。

つまり、自分は、ここにはお客様の為を思って、ではなく、「自分が気持ちよくなりに来ている」ということになり……ます……

ぇー。

まじすか。散々愛する常連様の為にとか抜かしコキマロなのに。なので実際、「このやり方はよくないのではないか」と思う自分もいます。

それは、「お客様に披露する以上、ちゃんと作り込まれたものであるべきだ」という考えが立ちはだかるからです。

「自分が気持ちよくなってるものを、お客さんにお見せするのはどうなんだ?」という古い(のかな)考えなのか、「お客さんが喜ぶには、自分は辛くあらねばいけない」みたいに思うの、なんとなくわかりません?(投げるな

さらにはこれ、ちょっと自分の作品の中にもあるんじゃないかなって思っています。自分が楽しく気持ちよく終わってしまってはいけない、という。

これ、秘密なんですけど、自分の中にはネームが終わった時点と、作画が終わった時点では別の人が入っています。前者は菅田将暉、後者は竹内涼真です黙れ

ネームが終わった時に、なにか、すごい満足する自分がいるんですよね、「ああ、いい空間を覗けた。最高だった」みたいな。で、ここで結構、もういいや、作画意味なくね?とかになっちゃう。

でも、今度はこれを「皆さんにお見せしよう」という竹内君が登場して、「カッコいい作画」をしようとします。で、いい絵が描けたー、これ、皆さんに見せたいなーみたいになって、なんとか販売まで漕ぎついている。

ね。でしょ?(何が

竹内君からみたら、菅田君が苦労してるし、その逆もシカリです。だから、「辛い思いをしてるから作品を出していい」ってことになる。そのつらい所だけを拾って、俺頑張ってるって言ってる訳です。

でも今回の自動手記で、解ってしまいました。

やはり、結局、自分が気持ちよくなってるんです。

だから、気持ちよくなれないと、やらない。どこかの知らない商品のアフリエイトやって、たとえお金が入ってきても、それは気持ち良くない。

作品も、自分が気持ちいいと思えるものじゃないと、描けない。

……これか。そういうことか。

あまりに「辛くすべきだ」と思うから、続かないんだ。

ただ、単純に、好きな場所、らばたの世界にアタシが行けばいい。

一つ、突破口を見つけました。
(突然終わります