貪欲なのは、かっこ悪いと思ってました。

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あったか~い日です。皆様いかがお過ごしですか。こんな日は、自分を語りたいです(always)。

10年ほど前に立ち上げたラーバタス。あの頃は、自分の中にある世界を描きたかったので、絵の上手さとか、演出とか、そういったものはあまり考えませんでした。でも、見てくれた人に伝わるようには、心がけました。

で、運よく、DLさんで、皆さんに受け入れて頂けたものの、その当時、絵を描き始めてまだほんの数年。「自分はいい歳して絵を描き始めた」「まだ経験が浅いので」とよく言ってました。で、これ、今思えば、ホントはよくないです。受け手にとって、お前が何年描いていようがどうでもいいこと、なのですから。

それが多分、今も少し、引きずってます。自分は、学生の頃に絵を描いてない、のを「その割には描けるでしょ」的に、免罪符にしてる気がします。だから、上手い人の絵を見ても、あまり落ち込まなかったのです。自分とは別の世界のことだから、的に。

しかし、最近。あることに気が付きました。これは、自分で、自分のいるレベルを設定している、ということです。気づけたのは、例のツイッターを使い始めたことによるところが大きいです。自分は、プロのアニメーターさんとか、漫画家さんに気軽に話しかけられません。彼らは、違う世界の存在だと思うからです。絵がとっても上手い人に対してもそうです。

まるで、絵の上手さで、人を判断しているように見えますが、ツイッターやピクシブで、そもそもまず「人」を判断していないです。絵が上手いかどうか=集客能力があるかどうか、だけなので、ここは割り切ってください。

自分が話しかけられるのは、自分と同程度の「描画能力」を持つ人、手の届く範囲なのかもって思いました。このなかで、自分の居場所を見つけて、のほほんとしていても、結構楽しいです。でも、集客能力の無い中でのほほんとしてたら、当然、自分もそうなってしまうと気が付いたのです。

自分はそこにいて、でもいつか、マイペースで伸びていくんだ、そんな根拠のない妄想に甘えていました。自分は長く生きている分、その集団の中では上手に立ちまわれるかもしれませんが、そこでハナタカダカになってても、なんの意味をなしません。(その集団の、人間性として判断ではなくてね)

自分は、貪欲な人間が嫌いです。自分を見て!自分の事を聞いて!と相手に強要するような人間はドラゴンスクリューで足首折ってやりたいと思いますが、実力をつけることに対して貪欲にならないのは、ただの怠慢だと気づきました。自分もヘタレだから仲良くしてください、って自分で思ってるってことなんでしょうか……?

こんなふうにも思います「僕はそんなにねー上手くなりたいとか無いんだよねー好きでやってるんだよねーだから絵描くのも好きだからこの程度で良いんだよねー」、と。こういう言葉を、本やらネットやらで見つけます。怠惰を「きみはそのままでいいよ」と言ってくれる甘い言葉に、そのまま甘えます。

趣味ならそれでいい。自分はそうじゃない。趣味じゃない。上に、上に行きたいって、多分初めて、輪郭をもって今日(正確には昨夜)思いました。貪欲に、上へ上ってやる、今更だけど、上ろうと。

そして、その、上にいる人間の中に、自分が居てみたい。どんなスピリットをもってるのか、聞いてみたい。そんな思い(どんなだ)をこめて、今日の挿絵は、触手覚醒期のかなり前半のイメージで描きました。イクサー1の渚的なカットです。ここから、きっちり、スタートしたい。

新作進捗は、特になしです。ほら、今週は映画あったから。ずっとプリキュアばっかりで(やっぱか