ノンプレイヤーキャラクター

部屋にしまうタイミングが遅れてしまって、株分けした小さなモンステラが冷害で黒くなりはじめてしまいました。可哀想なことをしました。植物は歩けないのに。大慌てで、冷害の部分を切って、メネデール液(初根を促す)水に隔離です。こういった処置を施すには、時期的には最悪です。花瓶を24時間体制のオイルヒーター前に設置しました。

昨晩は、久しぶりにTwitterXに、夜遅くまで貼り付いてしまいました。
あまりよくない出来事があって、それを追ってしまったからです。

ある漫画家さんが、TVドラマ化された脚本に対して不信感をもち、その後、自死にいたってしまったことです。

重いです。あまりにも重いです。

このかた、自分と年齢も近いかたで。発言や過去の画像を見る限り、とても感性の繊細な方とお見受けしました。この利益優先主義の業界の中よく、この年齢までその感性をご維持されたなと敬服いたします。

もちろん、何かを、しかも正当なコンテンツとして産み出せる創作主が1人、自ら命を絶ったのですからそれは気になるに決まってるんですけど、この件、なんでこんなにココロかき乱されるんだろうと考えました。

多分、このかたを追い詰めた「敵」が、自分も、物心ついた時から長年ずっと戦ってきている「敵」と同じだからかなって思います。

敵の正体

この敵の名をどう表現すれば良いのか、自分は適切な言葉を持ちません。姿が見えないので、すごく戦いにくいです。

Twitterでは、「誰が悪い」ってことになってるんですけど、確かに、犯人らしき人はいるんですけど、なんていうか、それは個体ではなくて、「無意識下でつながったエゴ」みたいなものにみえます。

たとえばこの件の「犯人」とされている A「嫌味で傲慢な脚本家とその一味」、B「無能な監督者」、C「保身の制作局」、D「ネットで炎上させる者たち」とします。

もし、この件をTVのニュースでやるとしたら、「自分たちもちょっと悪いけどネットでの誹謗中傷ガー」「痛ましいですね今後はこういう事の無いように(鼻ホジ)」的なものになると思いますが、TVに限らずこのABCDは誰も、非を認めないと思います。

これはたらいまわしのように見えますが、自分にはこれらがすべて「共通した同一個体(精神)」だと思っています。

この「世界」の「レベル」?

人の「質」って言えば良いのか、「種族」って言えば良いのか、とにかく、「自分以外の心の動きに対し関心を持たない人たち」……いや「人」という物質を指すのではなく、そういう共通した精神の状態といえばいいのでしょうか、モノを考えられない……いや「考える」という表現もちょっと違います、モノを「感じ取れない」精神みたいなものです。

たとえば、歩道にテーブルをならべてピクニックランチを始めたら邪魔ですよね。この人は「自分が他の人の邪魔だ」って考えられない人だから、この人は世の中から怒られますよね。

でもそれを、いきなり「邪魔だよ!」怒鳴る人は、あんまり怒られませんよね。そうだ!そうだ!って同調すらしてもらえますよね。「何故、この人は歩道にテーブルを並べる必要があったんだろう?」って考えないですよね。

ってここを掘り下げるとまた別の方向行っちゃうのでさっくりにしますけど、もし、いま、この地球の多くの人が「何故、この人はこの人は歩道にテーブルを?」って考えられる人だったなら、それを考えられない人が「ダメ」ってことです。

でも今は、「邪魔だ」って即思う人が多数派なので、その人のことを考えられなくても「ダメ」にはなりません。つまり、今のこの世界のレベル、質、みたいなものが、私たちの精神のありかたにリンクしていると思います。

こういった「普通の状態の人」を表現するのに自分は、「自分の常識が絶対だと思ってる人」「個の世界から、外へ踏み出せない」「船に乗ってるだけで、進ませようとしない」というようなものしか浮かんでこないし、これらの言葉は既に合致、適切ではないかもしれません。

ただいつも思うのは「NPC」って結構いるんだろうな、ってことです。

いつもの暴論です。

仮想現実の世界

NPCは、プログラムされた対応をすればいい。自分の役割の外へ踏み出そうとしない。そういう役目だから。それで正しい。

たしかに、NPCの発言がゲーム解決のキーになったりするけど、それはプログラムされたもので、そのNPC自身がゲームをクリアしようと考えている訳ではない。

各NPCの思考(?)は、繋がっています。一つのプログラムのもとで動いていますので、もともとのそのセリフを打ち込んだ人のバイアスがすべてのNPCの発言や行動にかかると思います。

「おそらくこの世界、プレイヤーは3割ぐらいしかいなくて、7割はNPC」じゃないかなって思います。ビジネスだって、NPCのほうが多いから、そっちに仕掛けたほうが効率がいい。

NPCではない普通のプレイヤーたちは、自分と他者(NPC)が同じ思考が出来る存在だと信じてしまいます。「なんか違うんだけどな……」って思いつつも、目の前の物質に精神を左右されてしまうので、NPCが言うとおりに行動します。

じゃあなんでNPCが存在するのかって言うと、ゲームを面白くする?為です。

(で、この理論、もっとヤバいのは、「NPC」はただの器で、プレイヤーの精神が入れ替わり、いろんな人の中に入れる、サーバーチェンジがパラレルってことなんだけど、そこまで語るともっと痛いので自粛します今更か)

芦原先生、多分ずっと、気が付いてたのかも。
このゲームのクリアって、このゲームから降りることだって。

らばたのドラマ化

ちょっと現実に戻ります。今回の件、自分の作品はTV化されない予定ですが、無理やり自分に置き換えてみます(現実じゃないじゃん)。

TV「高石ちゃん、あんたの作品TVにしてやるよ」

高石「はぁ、どうも」

プロデューサー「TVだと異種姦できないから、全部カットねw」

高石「え、意味ないじゃん」

脚本「モンスター喋らないと視聴者に伝わらないから、喋らせるねw」

高石「え、ウチの使う意味ある?」

プロデューサー「いま売り出し中の清純派ヒロイン使うから、ちょっと内容変えるねw」

高石「え、ウチの(略)」

この人たち(=NPC)のお仕事は、どこかで見たことがあるものに近づける(=プログラムをトレースする)こと。そして出来上がったものはまったくらばた作品ではなく。

評論家「まぁ、素人同人作品ですからね。期待したらダメでしょw」

自分が、らばたを今、1人でやってるのはこういう懸念というか、コントロールできない部分のしわ寄せが常連様に向かうのが嫌だから、というもあります。もう、メディアのプロモーションなんか信じられないの、みんな気が付いてますよね。NPCによる、NPC向けのプロモーションです。

それにらばたは、いま、自分のアイデンティティだし、自分の中心にある存在です。芦原先生も、作品とは「自分の存在」そのもので、それをとりあげられたのなら、もう、このゲームの中でプレイする必要が無いっておもっちゃうのは、痛いほどわかります。

自分は勇気がないので、このゲームから降りることはできませんが。

となると、コンテンツをお渡しするのには、中間にNPCが入らない、作家個人を信じてもらうしかない、ってことになっちゃいます。

でも、まて、オマエはどうなんだ、オマエこそNPCなんじゃないのか?ってことですが。

それは解りません。ただ、NPCだとしても、自分のプログラムを打ち込んだ人がちょっと多数派じゃないんだろうな、とは思います。でなきゃこんな弱小同人作家で子育て×2とか(略)

また、おそらく。ウチみたいなところにわざわざ来ていただける愛する常連様は、NPCじゃないと思うんです。だって、ウチを楽しみにするのは、あまりにも効率が悪すぎますし、良(く見える)いものが他にいくらでもあります。

逆に、NPCじゃないからこそ、多くのNPC向けのコンテンツがイマイチハマらないのかなってもちょっと思います。自分が作らなきゃって。自意識過剰ですが、自分が描くことをやめないのも、この謎の使命感はめっちゃ強いです。

らばたの立ち上げからもう、10年以上続けているブログは、これ高石そのもので、ここにウソを演じることはさすがにできないです。作品は虚構世界だけど、お届けするものにウソはありません。

アタシを信じて。

(裏切るなよ)