あたしのはあんまり良い出来の器じゃないけど

110316.jpg  予定ではもうじき計画停電に入ります。ただ、ウチは繁華街にも近い立地だからでしょうか、完全に当選グループ内なのに一度も止まっていません。幸運なのか、焦らされてるのか、複雑な気持ちです。

  関東にお住まいの方はご存知のとおり、余震も相変わらず続いています。外に出ているとあんまり解りません。が、部屋のなかにいるとグィングィンです。でももう慣れました。静岡出身は伊達じゃありません。
 それにウチらなんかより辛い人がゴマンと居ますもんね。買い占められてパンやおにぎり無いのなんか楽勝だっての。水溶き小麦粉焼いて主食にしてた頃より充分幸せだっちゅううんじゃー。

 TVを通じてでも、いろんな人の死や、リアルに受け入れられない現実を目の当たりにすると、やはりどうしても生きる意味とかを考えてしまいます。

 突然ですが、私は、人の肉体はタマシイが入っているただの器ではないんじゃないかとよく思っていて(たぶんどっかの古代文化の本とかに影響されてると思イマス)、だとすれば死はその器が割れてしまうことなんだろうけど、いえ、だからってタマシイは永遠です~とかって言いたいんじゃなくって、そもそも時間の概念はそこに存在しないと思うんですよね。あっと、この話長いんでやめて……

 でぇ、人が死んじゃうのは器が壊れることとしてですね。私たちの「楽しみ」「快楽」って、器を使っての楽しみが多いでしょ。好きな食べ物をいっぱい食べるとか、可愛い子のおっぱいに触ることとか(!)。でも、本来、「器を使う楽しみ」ってのは中身にあるタマシイが楽しむ前段階にすぎないハズなのに、いつのまにか器の楽しみこそがメインだみたいな考えになってしまって、そうすると器が割れてしまう死ってすごく恐ろしくって、怯えてしまいます。

 でもじつわ、そこにこそ生きている意味を考えるスキマを見つけられるわけで、つまり「生きることは器を楽しませることである」と言う考え方から逃れられることで、もっと本当の新しい何か触れられるものが見つかるような気がするんですが……

生きる意味、皆さんはどうお考えになりますか?

……問題提起で終わるのはズルイけど、だってこの先わかんないんだもん。許してください。
>>そして、(キリッ)なアウさまお返事です☆

 そちらも大変なのにこの非常時にコメント送ってくださって、ありがとうございました。アウさんのあたたか~いジョージアな人柄にとっても癒されております。そして、新作(といっても昨年ので面目ないデス……)買って下さったそうで、ありがとうございました。アウさんをはじめ、らばたの物語が好きといって下さる方には本当に微妙な感じの作品なのですが、ヒロインの朋美ちゃんをあんなにぐちゃぐちゃに出来たのはそれなりに成果があればなぁ……なんて思います(なんのだ)。

 今ですね、と言うかちょっと前からなんですけど、制作方法をどんどん昔に戻しているんです。売り上げなんか気にしなかったあの頃(おおい)。不思議なもんで、進化?してきた段階を飛び越せないんですよ。戻る時もいっこずつ戻ってます。飛び越したつもりが、気が付くと一個なんです。でも、なんとなく、こっちのほうがしっくりくるみたいです。時が未来へ進むと誰が決めたんだ~ってヤツです。相変わらず、休むに似たり焼いたりな感じですが、もうちょっともがいてみますね。いつもありがとうございますm(_ _)m