時々長くて痛い駄文が更新されます。今回はその時です。今回の駄文は、希ちゃんから始まって、謎の着地地点に到達しています。その過程で、自分の作りたいものについても考えてみていたりしています。
なにげなーくTVをみてました。CMに佐々○希さんとかよく出てます。女優さんはカツゼツの訓練とかしないのかなぁとか思いながら……。彼女個人がどうという訳ではないのですが、私は彼女がTVモニタに大写しになるとなんとなく嫌悪感を覚えます。OOつばさちゃんもそうです。ソレ系モデル嫌いというわけではないと思うんです。えびちゃんは大好きですし。
で、小市民の私は「なんでスポンサーは彼女みたいな、視聴者に嫌悪を与えるタレントを使うのだろう」って考えます。ええ。これぞ自分が視聴者代表で平均値であると思いこんでる小市民ってヤツです。すると、すぐに仮案が思い浮かびます。「事務所の力が強いのかな。値段を落としてるのかな。」などです。
この正否はとりあえずおいときまして、もっと核心の問題は、精神健康上、自分がどうやってこの嫌悪を感じないようにするかということで、いちばん手っ取り早いのはソレをこちら側で避けることだと思います。その番組を、チャンネルを、見なければいいです。
なので、このタレントさんが出てる番組は見るのよそう、ってなっても、私のスーパー楽しみ番組「世界ふしぎ発見」に出られたら、これはもう我慢して見るしかありません。なんか負けた気分です。
でも見る側に我慢を強いる番組をずっとやっていれば、見る側はその我慢が限界に達した時、多分見るのをやめると思うんです。だいたい娯楽という時間に、我慢や嫌なところがありすぎるのはちょっと宜しくないかもしれないですよね。
そこでまた、最初の疑問です。「なんで番組は彼女を使うのだろう?」 答えのひとつは「本当は自分が平均値ではない」ということで、「彼女のことを嫌いな自分は圧倒的少数派で、ほんとうは彼女が出ることをみんな期待しているから」、かもしれません。
そしてもうひとつは「作り手側が、そこの部分を重要視していない」、「そこ」というのは「視聴者がきもちいい」ということです。事務所や、出来レースの「タレント好感度表」などを元に、上位のタレントを出しておけば、「俺たちは正しいことをやっているんだ。視聴率や視聴者の感想はどうか知らないが、俺たちは間違っていない」という部分にこそ作り手の意識が行っているのではないか、ということです。
今回私がひっかかったのは、この後者の方で、作り手が「間違っていない」とする「正解」ってなんだろうってことです。その正解はいちおう好感度がよいと「されている」、人気があると「されている」ものを羅列することが「正解である」で、作り手の「間違っていない」に繋がるのかなと思ったんです。
そしてどの局の作り手たちはみんな「間違っていない方へ」向いていくから、どのチャンネルでも同じようなものをつくり、同じようなタレントが出てくるのかなって思いました。こうすると、「嫌な思いをしたくないから、チャンネルを変えることで、違う番組に逃げる」が出来なくなり、ついにはTVを見なければいいという最終決断にまでたどり着いてしまいます。
ここまで考えて、なるほど、TVは確かに似たような番組が多いなって思いました。何でこんな(こんな、って言うのも失礼ですけど)コがいっぱい出てるのだろう、ってコトに関しても、その作り手側の「自分は外れたくない」という団体心理というか、ちょっと信教的な力が働いているのかもしれないなって思いました。
ナガナガとこんなことを書きましたが、これを私の作品製作姿勢に当てはめてみました。私は、作品製作に対してある程度の対価を求めるやりかたでやっています。値段を決める時は、製作実働時間数がコンビニの自給より下回らないように設定しています。目標設定ダウンロード数は300です。これを下回る回が続けば、コンビに自給の方が高くなるので、バイトを探す時期だということです。
例えば今回の作品は、まだ発売して1週間ですが、現時点で150(ありがとうございます!)で、目標達成はのるかそるか、って感じです。この結果を踏まえ、次の作品に対しての方針を考えるのですが、ここで前途の希ちゃんのお話になるのです。
いちおうウチは異種姦ですが、サークルさんも一昔前より増えて、異種姦はごろごろあるようになりました。やっぱし、嫌がってる女の子にモンスターがうぞぞぞぞってのが強そうです。だから、うちも強そうなのやったほうがいいかな……って思います。そして、他のサークルさんもそう思うかもしれません。でも、そうすると例の、チャンネルを変えても同じ番組、という事態になっちゃいそうです。
それに、ロリが売れてるから、レイプモノが売れてるから、なんてやっていけば、確かにエロと言うのは理屈じゃないのかもしれませんが、いずれお客さんは同人自体に飽きちゃうと思います。TVを見る側の私がTVに飽きても他のもので遊べばいいですけど、作る側の私がお客さんに飽きられちゃったら、それこそ、観客の誰もいない劇場で漫談をやっているような寂しい状態になります。それを続けていける程私のハートは強くないと思います。
つまり「間違っていない方向へ行こうとする」のは、作り手のビビリとか、「自分は間違ってないぜ!」という訳の解らん自己顕示欲かもしれません。どうせ自己顕示するなら、私はやっぱり、私の中にある世界を顕示すべきのはずです。
私がやりたいのは、私の好きなものばかりをごちゃ混ぜにしたものです。私の好きなものは、指輪物語や、アーサー王のお話みたいな古いファンタジーだったり、ガンダムやマクロスみたいな、私が子供の頃に熱狂した物語であり、おっぱいの大きなAV女優さんがあんあんしてるエロビデオであるわけです。どうですこの無節操なぐちゃぐちゃ感。
これらをくるめてひとつの世界にすることをいわゆる「間違っていない方向か」といえば、多分違うと思います。でも、TVに例えるなら「見飽きたタレント」や、「作り手の正当性をひたすら訴えるような出来レース番組」など、そんなのが嫌でチャンネルを変えてこちらに来てくれた人に、私も他のサークルさんの作品と同じことをやってたら、つまらないTV番組たちと同じ構造になってしまいます。
よく「お客さんの方を向きすぎるのは作家性が云々~」ってのがありますが、私がお客さんの方を向いていたいのは、一週回ってこういうことなんだなって、希ちゃんをみていて思いました。お客さんの好きなものを作るというより、お客さん、今どういうものが嫌?どういうものが飽きちゃってる?ってことの方が私は知りたいのかもしれません。ウチが楽しませてあげられますよ、みたいな風になりたいのだと思います。
不思議なもので、このことを考えるのはほんの一瞬、CMの15秒間にこの結論を出せるのに、文章にするのはこんなに時間と労力がかかるのですね。でも、文章を書き終わって、「あ、私のやりたいことって、あの番組に似てるな」って発見も有りました。それが、私の好きな番組の双璧をなすもうひとつの番組、それこそニューカマーサーカス「あらびき団ぬ」です。
あーうち、あらびき団を目指してたのか……って、それは置いときまして。私も表現者の端くれの端くれ、マンネリ化しようとするエンターテイメントに飲み込まれないように、この活動を続けて行きたいと思いました。そして、長文はほとんどの場合、したい主張をぼけさしてしまうことも解りました。これだったっけかな……書きたかったこと……。でも外れてはないと思います。まる。