シキシのハナシ

もう、何が何だかわからない感じで毎日が過ぎています。さすが師走。しわすでごわすドスコイ。

コミケに持ち込む用に、色紙を描いています。( ゚∀゚)ノ

自分にとって色紙は、なんというか、記念品といえばいいのかな、せっかく会場まで来て、ウチのスペースへ来てくださった方への御礼や、通販やDL販売だけでは得られないモノを、的に思って描いています。

あんまり売れる売れないは意識してなく、そりゃ好きな人にわたってくれるのが一番うれしいんですけど、売れたから売れ残ったからと言って、それほど何がどうということはありません。

で。その何がどうとか無いものを、この年末クソ忙しいタイミングでやる意味があるのかとかも考えるんです。売れなきゃただのディスプレイですからね。本の展示ディスプレイを飾るのに、早朝や深夜、家族から解放される時間をザクザク切り分けて色紙を作る訳です。

その答えが、今日の冒頭の一文である訳です。ドスコイじゃないよ。「来てくれたかたへ」のくだりです。

スペースに来てくださった方が、ああ、また色紙描いてるなぐらいに「ひとめ見る」為だけでも、自分は十分価値があると思っていて。「こいつはこの先まだ描くんだな」というか、自分は今も読み手の方向いていますよという、意志表明としても感じて頂けるかなって思っています。勝手に。

いや、「まだ描きます!」なんて、このブログ(とても信用性の低いこのブログ)で言えば良い訳ではあるんですけど、その、言葉で伝えるのと、姿勢で伝えるのって、なんか違うじゃないですか。言葉や作品で伝える部分は、それはそれでいいと思うんですけど、イベントに出ていって自分は何のパフォーマンスが出来るかというと、本を売りましたイエーイだけじゃ、それこそイベントじゃなくてもいい訳で。

また、シキシがあることで、お話しできたり、もちろん、ひとこと感想をお話してくれる方もいて、そこには年に2回しかお会いできないつながりというか、自分にとっては「絆」レベルのものなんですけど、その会合の場に、自分の現在の全力アナログ画である色紙があるのは、意味あるどころか、必須条件なんではないかと考える所存です。

また、アナログはデジタルと違って、一発勝負です。この完成品の裏に累々とシカバネの時間と失敗色紙が積み重なっている訳です。この「うーんこれは失敗かな……?だせるかな……?」の瀬戸際にも、すごくドラマがあって。これは自分をちゃんと出せたか、買ってくれた人に届くか?みたいな葛藤がある訳です。いくら時間を使っても、そこに何も宿ってなければ、前述の会合の場にふさわしくないので、泣く泣く却下です。

我々作家は(主語でか)(お前も作家か)、見てくれる人、買ってくれる人がいなきゃ存在できないわけです。井上尚弥選手もスゴイのはスゴイんですけど、彼に負けた人がいないと、彼は彼として存在できない。勝った人と負けた人は、技術や勝負運などの違いはあれど、リングに上がっている時点で質は同等だと思います。

いや、でなくて、作り手と買い手は、同等だと思います。同じ船に乗っていて、みんなで船を漕いでいます。これから長く続く旅路を、みんなで漕いで進んでいます。誰かがひとり、飢え死にしそうなら、ほおっておかないでしょ。自分の分の食べ物を分け与えるでしょ。情けや人道以外のドライな面でも、その漕ぎ手がいなくなったら自分の負担が増えるのもあるんだし。また一定数が死んでしまったら、それ以上船が動かなくなって、生き残っていた者たちも全滅です。

「俺たち、まだまだ進むぜ!!一緒にグランドラインを目指そう!」

なんかカッコよくなってますけど、こんな感じが色紙にかけた高石の思いです。