あがく、カラー作品です。

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まんがの作り方でよく言われる作品の作り方で「演繹(えんえき)法」と「帰納法」というものがあります。へー。
自分は、「ふつうのマンガ」の場合、帰納法です。帰納法というのは、ゴールが決まっていて、ソコに向かってストーリーを組むみたいな。ゴールというのはオチではなく、自分が一番言いたい事、になると思います。だから「オネショタいいよね!」という漫画が描きたかったら、オネショタを描くというゴールから逆算して、お話を作ります。お話自体のオチなんてものは結構どうでもいいみたいな(そうなのか
演繹法は、どちらかというと、キャラにトラブルをふっかけて「このキャラは、今、この場でどうするか」みたいな、今を積み重ねて描く方法というイメージで考えています。キャラを描くときはこっちのほうがよさそう。ゴールはどこへ行くのか到底わかんないですけど、「キャラ」はどんな物語を通してもそのキャラなので、たぶんそれで良いんだと思います。
で。今作ってるのは「よりエロい絵を」という作品です。勿論異種姦。その、絵というのにはシチュエーションや、どんなモンスに何をされているか、というのも含みます。これがなかなか一筋縄ではいかないのでして。
例えば1。帰納法。女の子がその一筋縄とやらで縛られている絵がエロいなって思ったりするでしょ。コレをゴールにする。そこに至るまでの理由というか、ストーリーを……ってこれが「いらない」。エロだから。自分は良くコレを長ったらしくやってしまう。あっさりで良い。良いんだと思う。
例えば2。演繹方。一筋縄のエロいなって絵を描くでしょ。描いてる時に、自分の頭の中でその子が喋ったり、モンスターが何故それをするか、どこからそれをしようと思ったのかというのが、浮かんできます。彼ら彼女らには生活があるので、その行為に及ぶには理由があるわけですよ。
とすると、描き始めたときは見えなかった要素がガンガン出てくる。ああ、この子の職業はこうだったな、こういう性格だから、これは嫌がるはずだな、でもこの場所に来ている以上云々。で、どんどん絵が変わっていって、最終的には、その一筋縄さえどっか行っちゃったりします。
じゃあ、一回描いて、全体見えたら清書、ってのが良いのかもだけど、これもダメ。絵は不思議なもので、先が見える安心感が絵に出ちゃう。描き手があがいてないと、エロくならない。路上パフォーマンスみたいなものに似てるのかな、同じステージは二度とできない。そういうものみたい。
ということで。大まかにゴールを設定した演繹が良いと思われて、そのゴールはガンガンに変更可。エロい刹那が勝負。そもそも「絵を見せたい」場合、マンガより、絵物語形式の方が多分相性がいい。そうなのよ。どうせウチ、女の子しか喋らないんだし。
っていう、自分の作り方みたいなものにたどり着くまでに、10年以上かかりました。今そうやって作っています。ガンガンにあがいています。