忙国のイーデス

Eカップ、って、昔だったら結構大騒ぎですよね。今、大きさの尺度、昔と違ってますよね(なになになに

地獄の連休が終わりました。まだ体が全く回復しません。夜、横になると咳が止まらないので、わき腹が筋肉痛です。ゴホゴホ。

最近の朝は、娘様の登園拒否ストライキをなさるので、AM9:00の時点でかなりの精神力を消費します。

「毎日同じ服を着て、脳への負担を軽くするんだ」ってジョブズは言ってましたが、毎朝答えのない問題に対応しなければならないというこのハンデはデカすぎます。

あ、ちょっと話しますね。コソダテロン。

うち、命の危険とか、他人に甚大な迷惑かけない限り、「怒らない作戦」中なんですよ。「親が怒るから何かをする」という方向にしてしまうと、怒られない時に何やるか解らないので。自分だったら絶対そうするし。

というかそもそも自分があまりリアルでは怒らない(おそらく年齢のせいもある)ので、自然とこの作戦になりました。ブログやツイッティングでグダグダ文句言うのはネット弁慶だからです。(ドヤ

「幼稚園行きたくない~」って言ってる相手に、大きな声で威嚇して力づくで連行すれば事はすんなり進むんでしょうけど。でもそれは十数年後の爆弾を埋めてるだけだし、「嫌」って言えるのは今後、奴隷化されない重要スキルだったりするような気がします。

って、ここであんまりそんな話してもアレなんですけど。先日の連休に行った遊園地、そこらじゅうのお母さんお父さん怒鳴りまくりで、なんであんなに声を荒げるかなとすごく思いました。

あれを繰り返したら、何かを言ったら怒られる→だったら何も言わないほうがいい→指示待ち&目立たない方が有利思想になるに決まってます。

そしていずれ「今の世代は自分の意思が無い」とか言われるんですから、世の中理不尽極まりなしです。

さて5月です。

愛する常連の皆様におかれましては、もはや新人の頃の5月病の時期などとっくにお忘れになられたお年頃の事かと思いますが(失礼だろ)、自分の外側を取り繕って、よくあろうとするのは本当に疲れることですよね。

たとえば、Twitterのフォロワーを伸ばしたければ、自分に何らかの魅力がある必要があります。フォロワーをお金で買うこともできるみたいですが、それはただの、魂の消費です。

社会に疲れたとき、もう嫌だと思うときというのは、多くの場合、心を亡くしています。「忙」しいという文字そのものです。

100人のお客さん相手に、漫画を読んでもらうと、どんなにつまんない漫画でも心を亡くしていなければ、必ず一人ぐらいは「おれ、これ好きだな」って言ってしまう人がいます。でも、心を亡くしてしまい、ただ、切って貼ってを繰り返すと、せっかく好きって言ってくれる人も、その心じゃなく、切り取った絵であるとか、表面的な評価にとどまってしまいます。

自分は、胸の大きな女性を描くのも見るのも好きなんですが、大きな胸のキャラ、というこの表面的な部分の評価で喜んでいてはいけません。今すごく悩んでいるのは、自分は人を全然かけていない、ということです。

忙しい、疲れた、って言い訳にして、今はできなくてもしょうがない、って自分に言い聞かせてますが、本当はただ、自分と向き合っていないだけです。

作品を作ること=机に向かう事絵を描くこと これが表面

作品を作ること=自分と向かい合う事 これが本質です。

「心を亡くす」と、作品を作ることが出来なくなってしまうってのはこれです。

向かい合う自分がどっかへいってしまうからです。

……うわ、幼稚園お迎えの時間です。