プリキュアものもようやくおわり、コミティアまでの短距離走です。がんばるじょー。
でね。ココの人たちにはほとんど関係ない事なんですけど。ごめんねまき散らして。でね。
レイフレ(プリの同人誌即売会)って、終わると必ず、「オレはこんなことされた―!」「アタシはこんな嫌な思いをしたー!」ってツイートが出てくるのね。どこまで誇張か解らないもの。ご丁寧に白ハゲマンガまで作って。いや、白ハゲならまだしも、プリキュアたちを登場させて、描き手の気持ち悪いエゴを言わせたりするですよ。そういう人はもちろんフォローしてないけど、だれかのリツイートで目に入っちゃうのよね。
で。最後には「これを描いた理由は皆さんが嫌な思いをしない為に注意喚起」とか「マナーを守りましょうという掲示です」とか。自分のゲロ吐きまくって、周りにゲロ処理させて。ダメ押しにあなたは間違ってない待ちして。どんだけ過保護に育ってきたんじゃ。自分はこういうのすっごい苦手で、本当に気持ち悪いなぁと思うのです。
あ、そうだ、もう、ついでにもう一つごめんね。「薄っぺらい感想のやり取り」も苦手です。あらすじをなぞったような、本を読まなくてもかける感想とか。全然「感じて」も「想って」もいない。
でも、わかりました。これは、「交流」なのかもしれない。大人数に、丁寧に感想書かれている方もいて、多分、書かれた方は嬉しいわけでしょ。そうすると、自分が感じた嬉しいを誰かにも、って思ったりして。みんなハッピー。
ちょっと話それます。新しい武術の老師に出会えまして。対人練習なのですが、その人、手の内を全部明かしちゃうんです。ご自分が何十年かけて積み上げてきたものを。勿体ないほどに。師いわく、「自分だけこの技を盗んでやろうというエゴの塊に付き合いたくはない」。つまり、どんどん教えるから、オマエも誰かに伝達していいぞと。やばいカッコイイ。
こういう人に出会うと、自分もその人にいろんなものをフィードバックしようと思い、協力的になるというか、同調します。自分はさっきこう思った、これが良かったなど。周りの者もそうなる。これも「交流」。
上記の、2つの交流。同じなの……かな?。ちがうな。前者は、全然乗りに来ならない。後者はすっごい楽しかった。「相手を認めているかどうか」の違い、かな。
帰りたいだの、眠いだの、口を開けば不平不満、誰が悪い安倍総理が悪いなどと言ってる人間を、自分は尊敬できない。交流もしたくない。ひょっとしたらその裏面には、興味深い人間性があるのかもしれないけど、別にその人に着目する理由はない。
ツイッターはこれを、自分の人嫌いを、増幅してしまう。
もう、ツイッターしなくていいんじゃね?
……
……
…………ただ、自分は、作品を通して、その人たちへの応援歌を描いている。
ような気がする。
なんでか?
……
実は、自分の本質も実はそこにあって、鏡を見てるような気分になるから嫌なのかな。
自分を見る、つまり「自己受容」。
自己受容できていない人間は、きもいと思う。
アタシかキモいのは。
旅はまだまだ続く。
あ、だからってわけじゃないんですが、今後、プリキュアの方に割いていた時間をらばたのほうに入れて行きます。プリキュアのおかげで、一コマに何人も描くことが嫌じゃなくなったし、描けないものをたくさん書けるようになったので、まったくやめることはないですが、従来よりも比重が変わると思います。
令和に向けてゴー!