語るぜオレファンタジーの源流

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いきなり秋めいてきましたね。蓄積した疲れには爆睡が一番です。皆様いかがお過ごしですか。でもなぜか、エアコンだと深く眠れなくて、涼しい外気が非常にありがたいです。

さて、今日は長編になりそうなお話をぐっと短く書きます。ならず。「続き」へ。 え?ええ、内容はもちろん自分語りですよ。皆さんの周りにもほら、いるでしょ、自分のことばっかりしゃべる人。アレですアレ。人の話でも「あたしなんかさー」って持ってちゃう人。アレですアレ。でも聞け。

僕は、中学のとき、美術が既に嫌いでした。絵を描くことも大嫌いだったんです。高校は美術がなかったのでほっとしました(あったかもだけど記憶に全く無い)。なので、今こうやって絵を描いていることを自分ですごく不思議に思っていたのです。DL販売も、もともとが生活の足しにしようと思い、始めたのに、いまや生活の中心。ねぇ。

そんな話です。ロング文。

  
  
  
僕らの学生時代は、オタクという言葉が一条輝によって呟かれ産まれた時期であって、たとえば、アニメのロボ好きで「バルキリーカッコエエ!」という男子学生ならまだしも、そのアニメに出てくる女キャラが好きなんて公言しようものなら、その瞬間にクラス内の順位がヤバイグループ扱いになります。

実際にそういうグループは存在していました。当初、僕は彼らを攻撃したりはしなかったですが、誰かが彼らをバカにしているときに、彼らを助けたわけでもありません。たぶん、一緒になって笑ってた、嫌な方だと思います。ただ、いつのまにか、僕は彼らをひどく蔑視するようになります。

中学一年のころだと思います。当時の歴史の授業で、1ヶ月に一回くらい、歴史の授業でならったことをA3サイズぐらいの新聞にする、みたいなものがありました。先生は自己中で嫌いなジジイでしたが、年表とかを新聞みたくしてみんなに伝えようとするのは結構面白くて、しかもそれが廊下に張り出されるので、ぼくも一生懸命面白おかしく作っていました。絵のうまい子は、足利尊氏とかリアルに描いてて、注目を浴びてました。

で、そのなかで、いわゆるオタクグループの女子たちの新聞に、ラムちゃんが登場します。だっちゃだっちゃって言って解説します。それはすごく見やすくて、面白い新聞でした(今考えれば、限られた紙面で絵が入れば、重要なことは絞られざるを得ないからだと思います)。で、ちょっとそういうムーブメントがおきて、女の子を中心に、漫画キャラが新聞によく出てくるように。

僕はなぜかオタクグループの女子たちとは仲が良く(実は意中の子がいた)、そういうアニメ雑誌とかも見せてもらっていたのですが、その中で出会ってしまった「幻夢戦記レダ」のOVA発売広告。なんだ!?この絵!!?どきどききゅんきゅんがとまらない。

それがVHSでレンタルが開始されたと。当時は一泊二日¥1500の上に、親の免許証が人質に取られますが、どうしても見たいと、親に借りてもらい、見ることができました。パッケージを見た親はめちゃめちゃバカにしました。こんなのが見たいの?て。僕は顔真っ赤にしながら、流行ってるからとか言い訳をして。やっと見れたこの作品で、とんでもない衝撃を受ける訳です。ほんとはここで、今につながる芽が出掛かっていたのです。

で、レダのヨーコが大好きになって、自分もそういう雑誌を買って(アニメックという雑誌だったと)、一生懸命見ながらヨーコを描きましたとも例の新聞に。歴史の年表にビキニアーマー登場ですよ。キタこれ。あのグループの子達が喜ぶと思ったのです。でもその時点では、これがどういう結果になるか、まだ解りませんでした。

で、張り出された当日。その子達は喜んでくれましたが、授業中、僕だけ公開説教くらいました。さいきん歴史新聞を勘違いしてる人が多い。ましてや破廉恥な絵なんて何事だ。と。ねちねちねちねち。おまえああいうのが好きなのか。アニメの美少女が好きなのか、と。みんなの前でなんか2時間ぐらい怒られた気がします。50分授業だからそれはないのだろうけど。

そこから、僕は完全にそっちグループ扱いされます。ヨーコの印象が強すぎたんです。いのまたキャラさすがです。今なら甘んじて受けられるのに、当時の僕はそれがすごい嫌で、どんどん悪い系のグループと一緒にいるようになります。そして、歴史新聞もなんか見るのも嫌になり、テキトーに済ますようになりました。しかし、女子たちは強かった。ほとぼりが冷めたらすぐに翼くんたちが新聞に登場してました。

その後、僕は、自分がそっちグループじゃないことを証明するために、オタクグループをバカにしはじめます。キモいっていいます。美術の授業も、やる気なさそうにします。そのほうがカッコイイと思ってたから。美術の先生はヒステリーの若い女の先生で、僕がちゃんと描かないのは自分が馬鹿にされているんだと思ったらしく、よくキーキー大声で言われました。

そんなことされたら、僕、悪いグループですから、机けとばして教室でてっちゃいます。その後男の先生に呼び出されてバカにしやがって、って殴られます。あの頃は頭ゴツンは普通でしたけど、僕はもう目つけられてたから、顔に来る訳です。睨み返して、またやられます。

そうやって美術が大嫌いになって行く訳ですが…。ちょっとまってください。その前に、僕は、ヨーコをみんなに見られ、張り出される状況で、描けてるんですよ? 全く初めて絵を描く人が人間を、ビキニアーマーのアニメキャラを描いた時にどういう絵が完成するか解るでしょ?それが、説教されるレベルで描けてるってことなんです。上手さ、というよりも、好きさみたいなものは滲み出てたんだと思います。それが先生に何らかの拒否反応をもたらしたんだと思います。たぶん、子供っぽい絵だったら、きっとスルーでしょ。それなりにセクシーなヨーコだったのかもしれません。

とすると、あれ、僕、もっと小さい頃は絵を描いてたの? ここは一生懸命記憶をたどりましたが、壁が厚すぎて向こう側が見えません。絵を描いていた記憶は全く無いんです。自分の封印が強すぎるのかもです。でも、根っこは、たぶん好きだったんだと思います。中学一年の当時は、ちょうど親の離婚後で、別れた旦那(僕の父ってことだけど)や他人の悪口ばかり言ってる母に対して、自分がしっかりしなきゃというプレッシャーもあって、アニメなんかにウツツを抜かしてる場合じゃないってすごく思ってました。

だからたぶん本当は、好きなものを好きっていえるあのグループが、すごくうらやましかったのだと思います。で。今になってそれがいろいろ爆発してる。と。そういうことかもです。プリキュアプリキュア言ってるのも、あの頃出来なかった事を、やれる環境があるからなのかもですいや単純に可愛くてきゅんきゅんで大好きなだけかもですけど。でも、らばたをはじめられたのも、ヨーコがカギになって、やっとあの時の自分にリンクできたからなののかも、とかも思いました。

突然こんなことを書いたのは、実は、先日、おともだちのゴロちゃんから一冊の本を紹介されて読んだからなんです。ゴロちゃんとはコミケ後に今回の反省的なメールのやりとりをするんですよ。そのなかで、僕の同人に対してのスタンスを語った(←それはもうウザ気味に)んですが、それに似てるような本があるよ、と教えてもらったんです。

その製作スタンスに関してもめちゃ長文書ける位すごくタメになったのですが、先にここを解決しておこうかと。その本に主人公が、学生時代に必死でヲタを隠して生きているシーンが描写されていて、そこを読んでいたときにオゲゲゲゲゲゲって、なんか大量の記憶がよみがえってきたんです。気持ち悪くなるぐらい。本のお話をすぐに自分の話に置き換えちゃうのが自分語り屋たるゆえんです。えへん。

やっと、自分はずっと隠していたんだ、自分をだまし続けていたんだ、って気がついたんです。その日はもう吐き気で、結局ヴィダインゼリーしか食べられないほどですよお客さん。(アイスもちょっと食べたけど。)絵の話に限らず、人の生き方ってこういう小さな分岐点や、ほんの力の作用で、簡単に変わっていくものなんだなと思いました。

自分では解らないんですよね。いま、道が「ズレた」って、感じることは出来ないんじゃないかなって思います。でも、誰かが外から自分を見てくれて、こうだったんじゃない?って言ってくれることで、その一言は小さなきっかけでも、こんな大事件が起きたりします。ネットだけの付き合いじゃこれ絶対解らない。ともだちって大事だなぁと。ありがとねゴロちゃん。ありがとね僕のともだちをやってくれてるみんな。

でもたぶん、またいつか僕は何かを忘れて、いろいろなものを無かったことにしたりして、生きていくと思うから、こううやって書き残しておこうと。書く事で、消化、昇華?しようとしてるのかもしれないけど。

異種姦ファンタジーやってるのも、この壁へのリベンジや、やっぱりヨーコへのLOVEなのかも。よっぽど悔しかったんだろうな~あの時の自分。でもおかげで今こんなに楽しいなら、まぁ、いいや。ネ。

こんどはNewstageの話するから。みんなちゃんと読むこと。