2025年、あけましたおめでとうございました。今年もまだ、人間をやれていてよかったです。
年末のコミケでは、やたらバニーを見かけたので、来年はウサギ年なんだなーって思ってたら全然違うじゃん!!!何!謎のバニー流行、何!
そのコミケ、終わりまして新刊、BOOTHのほう、販売が開始されております。
https://rabatakoubou.booth.pm/items/6469275
本作は、常連の皆様にはお察しのとおり、迷いに迷って、半分溺れながらようやくたどり着いた岸辺です。本来目指した桟橋ではないところだったかもしれません。
DL数も見て頂ければお分かりのとおり、普段の半分ぐらいしか売れておりません。現場でも、在庫を抱えて帰ってまいりました。でも、はい、これが本来のアタシのジツリキです。
ただ、虚飾をはぎとられて(まぁ、そんな虚飾も無いんだけど)もがいてみると、自分のできること、得意なこと、そして嫌いな事がよくわかります。一番嫌いなのは電車に乗ることですそういうのじゃなくって
「楽しんだもの勝ち」という、自分は死ぬほど嫌いな言葉がありますガ。楽しむというのは、自分が出来ることや得意なことで人を喜ばせるということで。
人がどうあろうが、自分勝手に生きた者が勝ちだよ、と考えている者は、その楽しむ土台となっている道路やトイレやおうち、お布団、それらは誰かが、誰かを快適にするためにすごく苦労して作り出したモノであるという視点が多分、無いんだと思います。なんだよ偉そうに。
でなくって、その、苦労して作り出したモノなんだけど、作り手としてはそれが楽しくてしょうがない訳で。誰かが自分の作ったもので喜んでくれる。肉体的にも精神的にも苦労は苦労なんだけど、辛くはない。だからその「勝手に生きた者が勝ちで、苦労したものが負け」という意味でもてあそばれるこの言葉が、自分は好きではないのです。
謎の愚痴で表現しなくてはならないほど、自分には語彙が無いのですが、虚飾を捨てた、というのはここの部分で。「自分が何をできるのか」を明確にすべきだと思いました。
高石、よく覚えておくことだ。何もできないくせに、楽しんだからOK!頑張ったからOK!売れなくてもOK!じゃあないんだよあほんだら。あほですみませんわかりました。
出来ることが9割。チャレンジが1割。この割合なら、充分、読み手さまを楽しませられる。高石ふうを、ラーバタスを好いてくださっている方々に、応えられる。余裕がある時や、未来が見える時はチャレンジを少し増やす。
だって、いきなり自分が「仮想通貨の仕組み作りましたー買ってくださいー」って言っても運営できないの目に見えてるから、みなさん、買ってくださってもいいとこ10円でしょ。らばたコインとか、絶対だめでしょ。出来なすぎることは、高石のリソースを不要なことに割いてしまうことになるし、それで「チャレンジしたった」とか満面の笑みとか日本の総理かって話(政治色やめろ
今年の抱負はここ。楽しんだもの勝ち、とかではなく、楽しませたらハイタッチ(語呂)です。自分に残された時間と、与えられたスキルで、何が出来るか。
豆腐のような抱負にならぬよう。
2025年もらばたをよろしくお願いいたします。