ラヴ・ミムジィ

100207.jpg 先日この日誌にて、土曜更新にしたいって言ってから一度も土曜更新できてない高石です。相変わらずの有言不実っぷりに、いささか宜しくないのではないかと反省中です。皆様の日曜日はいかがでしたか?
 私の日曜日は久しぶりに普通の感じで、ちょっと街へ出て、テレビ見ながらご飯を食べて、食べ終わった頃に亀田次男坊の試合みて、テレビに作られた彼はあまり好きな訳ではないけれど、試合中は見ててちょっとうるっと来て、やったな勝ったなって、先程よーやくPCの前にたどり着きました。
 その普通の感じの日曜日ってどんなんだ、ってコトです。

 
 普段こういう製作をやってるとPCの前に居る時間が長くなったり、作品のアイディアやラフをやってたりと、自分の世界にふける時間が多くなってしまいます。また、ウチの作品はチームで作ってるわけではないので、気がついてみるとやはり自分の枠なかにこちゃっと収まってしまっています。

 自分の枠の中に安穏と長居することは、精神の健康上に非常に宜しくないのはよく言われております。たとえば、明日はじめてOOさんに会う、とか、知らない人々の輪の中に飛び込んでいくとか、あのちょっとしたプレッシャーみたいなものから連続して離れる時間が長すぎると、自分の中にある社会へのアクセス窓口がどんどん機能しなくなるような気がします。飲み屋やってたころには毎晩誰が来るかわからないプレッシャー、もちろんすげーヤなお客さんも来るし、そんな中で生きていた頃がとおく昔の白亜紀の頃のことのようです。(いつ
 
 ただ、この隔離生活をある程度の年齢で体験できたことは、私にとってとても有意義なんです。仕事をしていた頃に、私はあまりに何も考えていないで、明日の仕事のこと=お金のことばかりを考えていたかがよく解りました。お金をもっと持ってたい、同級生のアイツよりいい車に乗りたい、いい女を連れていたい……そういった事柄が、かなり大事なことだと思っていました。いまは、生きていけるだけのお金があれば、それ以上は結構どうでもいいかなって思っています。でも、可能ならカワサキW650RSというオートバイが欲しいです(ぇ

 もちろん、家庭や守るべきものがたくさんあって毎日仕事に追われている方より、自分の方が毎日いろいろ考えているゼなんて思っているわけではありません。でも、少し前に流行ったようなビジネス用語をならべて誇らしげに話す知人に対して、私はその人と一緒にいる時間を退屈に感じてしまいます。
 
 なんかちょっと、ああ、高石もぼちぼちオカしくなってきちゃったんだな、って感じの日誌ですが、あまりにニュースで不景気だなんだって騒ぐからそんなことを考えてしまいました。不景気という波に立ち向かい今日もバリバリ働く人を、あたりまえですが私は絶対に笑いませんし、カッコイイと思います。ただ、その不景気というヤツの正体、その本質みたいなものについて考えるとそれが矛盾してきてしまうような気がするんです。

 不景気になるほどに、立ち上がってくる不安というヤツの正体は、まじで食パンも食べられなくなるような「飢え」なのか、それともお金がなくなることで自分が誰かに頭を下げたり、誰かよりなんかのレベルが下になるという「惨(みじ)め」具合なのか。惨めになりたくないから、やりたくもない辛い時間をずっと過ごすって、既になんかもう……ねえ……みたいな……。
 
 なんか、大上段で語ってるみたいでヤな感じですが、仕事でも作業でも、追っかけ始められるともう嫌なんですよね。でもこっちから追っかけてやろうとすると、案外イヤじゃなかったりするじゃないすか。自ら望んだみじめさ、その引き換えにこの生活を手に入れるのなら、甘受しようかなと思っています。
 
この手で作ろう……新しい世界と、愛の唄を……
(いつも件名テキトーですみません)