
挿絵は、先週のドット絵のアップデート版です。あとでPixivに「2月の絵」として投稿しておこうと思います。春の弥生のこの良き日に。雨。
しかし、絵を描くことは本当に楽しいものです。座禅でぼんやりしているような、あの静かな時間に似た楽しさがあります。これをずっと続けていけたら、どんなに幸せなことだろうと思います。
さて。アタクシには、わが社の若手社員(2歳と5歳)に対しての、絵本の読み聞かせ業務があります。子供向けの物語というのは、本当にストーリーテリングの基礎がぎゅっと詰まっていて、読んでいて勉強になることが多く、嫌いではないです。(でも激眠い時はマジで嫌です)
ただ、同じ本を何度も読むので、だんだん普通に読むだけでは「自分が」物足りなくなってきます。そこで最近は、少しアレンジを入れるようになりました。
タロー・ザ・モモ
おじいさんは山へ芝刈りに行くのではなく、マックのハッピーセットを買いに行きます。途中で鬼が現れて「ハッピーセットをよこせ」と言う。おじいさんは取られてしまう。そこで桃太郎が登場し、ハッピーセットを取り返しに行くという流れです。
鬼がいる場所は近所のイオンモール。自転車でだいたい10分くらいの距離です。途中でセブンイレブンがあり、そこで犬と猿と雉と合流します。雉は自販機でジュースを買い、犬はウエルシアでヨーグルトを買っています。思い付きなので、毎回出会う場所は違います。
しかし、僕自身の目は、ちゃんと絵本の本文を追っています。桃太郎は最終的に鬼ヶ島へ向かうわけですが、本によっては船に乗る描写があり、多くの場合、海が描かれています。荒波の中、桃太郎は進みます。
しかし、ここで、この歳になって初めての疑問が。
「鬼ヶ島がものすごく遠い場所だったら、鬼たちはおじいさんたちの村まで来て悪さはできない」はずです。
つまり鬼ヶ島は、そこまで遠くない。
距離感としては、本社からイオンモールくらいの距離(車で5分、子連れ徒歩なら30分)でも良いのかもしれません。
桃太郎の旅も、宿泊の描写もないし、食事もきび団子のみ。
つまり日帰りの冒険です。遠足状態。
大冒険ファンタジー
けれども、自分は子供のころ、この旅を「大冒険」だと思っていました。下手をすると一年くらいかけて旅をしているような感覚さえ持っていた気がします。そういう人、おられません?
もちろん、物語の設定上、実際にはそんな距離なら「1度だけ来て村を滅ぼした」にしないとオカシイ。でも「滅ぼしてしまえば、村からもう得られるものが無くなる」という設定矛盾。
もちろん、子供のころは、そんなことは考えてない筈です。ただ、物語の雰囲気だけで「遠い世界の冒険」だと感じてしまう。
物語の中では、明確な距離や場所、時間を指定していなくても、人はそれを「大冒険」と感じることがある。
これこそが、「ストーリーテリング」の力。
クリエイターは、ストーリーテラーでなくてはいけない(そうなのか)
しかしなぜ桃太郎を「大冒険」だと感じる(た)のか?
夜に泊まる描写もないし、遠くへ行くという具体的な距離の説明もない。ただ、海を越える挿絵が多いので、「海の向こう」というイメージだけは、なんとなくある。
つまり、読者の側が勝手に「大冒険だ」と思っているだけで、書き手は実際には嘘をついていないのです。
10年続いたクラスもおしまい
ここで少し話が飛びます。
今月で、週1のおばさま太極拳の指導クラスを一つ終えることにしました。理由は単純で、その時間があったらエロ絵を描きたいから、なんて言える筈も無く。でも実際、9時に送って14時にお迎えの間に出来ることなんか限られてます。残りは月1のひとクラスのみ。着々とヒキコモリです。
それで「レッスンを組み立てる時」のことを思い出しました。太極拳に限らないと思うんだけど、全体指導形式で教える場合、まず考えるのは「運動強度と給水タイミング」なのね。
つまり、「何回水を飲ませるか」です。
経験上、給水ポイントが5回を超えると、参加者に飽きが出ます。理想は4回。つまり、5つめのセクションで終わりになる構成です。
例えばボクササイズのような強度の高い運動だと、だいたい10分おきに水を飲まないとかなりきつくなります。
最初の準備運動は15分くらいでも問題ありませんが、激しい運動パートはそうもいかないので、全部のレッスン時間は、40分から50分程度。1時間続けると少しつらい。若くない人から来なくなる。
そこで、給水ポイントを4回入れて45分ほどのレッスンにする。前後の10分はかなり強度の低いもの。でも終わった後、参加者は「かなり運動した」という感覚になります。
太極拳でも同じで、1セクションを10〜15分にして、前後のおしゃべりや、少し長めの休憩を入れ、のんびりグダグダやると、だいたい90分前後のレッスンになります。太極拳もちゃんと動くとかなり疲れるけど、皆さんそこまで腰を落とさないし、負荷を自分で調整できるのが太極拳の良さ。
すると参加者は「今日はかなりやったなー」と感じる。つまり、「お金を払う価値があった」と思うわけです。
つまり重要なのは「時間の長さ」ではなく、「イベントの数」ではないか。
「ページ数」ではなく「何が起きたか」な訳です。
村下構造
好きだよと言えずに初恋は クリコ細工の心です。
一粒300メートルグリコ細工ではありません。
その構造(なんだよオヤジギャグかよ)からみると、桃太郎イベントはセクションをきっちり守ってます。守ってますどころか、イベントしかない。
1:桃太郎の誕生:勇者誕生
2:桃太郎の旅立ち:クエストの詳細発表
3:犬と出会う(ウェルシアでヨーグルトを買う)
4:猿と出会う(コープでアンパンマンラムネを買う)
5:キジと出会う(自販機でセブンティーンアイスを買う)
6:ラスボス戦:死闘の果てに(大ピンチに自衛隊が来てミサイルを撃つ)
7:英雄たちの帰還:お菓子食べ放題
こうして見ると、物語はイベントの連続で構成されています。つまり、話の長さや距離ではなく、イベントの数によって、人は「大冒険だった」と感じるのではないか。
そんな発見。
ストーリーテリングの本質
で。僕はいま「レッスン」と「物語」を同じ構造で見ています。
というのも、本質は同じで、「いかに満足を与えるか」だから。
もし自分が「満足させよう」と思ったとき、やりがちなのは、他の先生が言わないような難しい理論や高度な内容をどんどん話すことです。僕は知ってるから。勉強して覚えたから。
けれど、それを全部詰め込んで、休憩もなく延々と説明したらどうなるか。それは満足ではなく、ただの疲労になります。
実際、昔こう言われたことがあります。「録画して良いですか?」「DVDにしてもらえますか」と。つまり、情報量が多すぎると、体験ではなくなってしまう。(それにその動画絶対に見ない)
そうではなく、適度にこなせるイベントを、きちんと感覚を取って配置する。そしてできれば、「次はこういう展開になるんだろうな」と予測できるイベントを入れておく。
そうすることで、体験としての満足が生まれる。
クリエイターズトラップ
これが、罠。マジで罠。
作り手自身が満足することと、受け手が満足することは違う。
僕自身の満足のためには、特別な研究やスキルは必要ない。自分の研究を進めればいい。しかし、それを誰かに渡すとなると話は別で、そこには構造の工夫や研究が必要になります。
もし本当に鬼ヶ島が近い場所にあるのだとしたら、僕は、最初にそれを言ってしまうと思います。けれど、それを最初に言った瞬間、あの「大冒険の感じ」は消えてしまう。「ご近所の悪者を懲らしめに行った話」。ヤンキーバトルになる(それも面白そうだけど)。
でも、鬼ヶ島が近いと言わないことは、嘘ではないし、言ってしまえば楽しみは消えてしまう。
キャバ嬢が、「これは仕事だからね」と言ってから接客、疑似恋愛を始めるようなものです。
嘘ではない。しかし、その瞬間に楽しみの多くは失われてしまう。
つまり、創作とはそういうことなのかもしれません。体験としての満足が生まれる順序で配置すること。カードの切り方。
鬼ヶ島が近いとしても、
それをいつ言うかで、物語はまったく違うものになる。
ストーリーテラーが超えなければならない「問い」
「鬼ヶ島は、どこにあるの?」
・遠いところ ← ウソだからだめ 遠くはない
・川の向こう、橋がかかってる ← 冒険台無し
・海の向こう ← 海じゃないし
この質問にどう答えるかが、ストーリーテラーの資質と言っていい。
「勇気あるものだけが、行ける場所だよ」
100点だろこれ(満足げ)