春は見えるか

寒波がかんぱってますね。わお。がんばってますね。歳をとると、前頭葉のブレーキが効かなくなって、寒いダジャレを思いついたときにアクセルを踏んでしまうとの事です。アスファルトタイヤを切りつけながら踏み込みます。

さて。先週は、課長係長の看病でぶっ潰れた1週間で、今日は祝日とのこと。時代は容赦ないです。その係長が最近、「たっち」と言って、明確な言語を発するようになりました。これは、送迎の別れ際にやるタッチを覚えたっぽいです。

課長の方は、ソラでひな祭りの歌を歌えるようになりました。でも「春の弥生のこの良き日」あたりはちょっと怪しく「春をヨヨイよこの時に」みたいに歌っています。例の、明かりをつけたら消えちゃったソングを歌ってあげたら大喜びしていました。こうやって人はくだらなくなっていく。

子育てブログは良いとしまして、コミケの申し込みが始まっています。そりゃ申し込む予定ですが(申し込まないと締め切りないと作品完成しないし)、申し込んだところでさて、作業できるのかという不安と絶望に8月までサイナまれることになります。

ただ、ここまで時間と労力を取れないとなることには、メリットが一つあります。それは余計なことを描かなくなることです。最短距離を通って完成させようとするので、作品が見やすくなる可能性はあります。あくまで可能性ですが。

しかし、この余計なことをだらだら書くのがらばた作品の真骨頂でもあるので、このあたりを適度に余計なことを描いていこうと思います。

作業時間が取れなくて、夜中に逃げれば感づかれ、早朝作業は邪魔をされ。土日は、部長がワンオペはできないと泣き言を言われ。逃げようと思った扉が次々にガチャンと閉まっていくような日々ですが、その中でまだ、希望の光を探すわけです。

諦めない大事さはプリキュアから受け継いだのですが、プリキュアは大声で叫ぶと画面が光ってBGMが変わって、大逆転できるから良いよなオレ騒いだってご近所迷惑なだけだもんなじゃなくって。

希望とは地獄にありて見つけられるもので、楽園に住み続けるとその光は見えなくなってしまうものです。この小さな灯を目指して、きっといつか来る春を目指して、歩き続けます。

ちょっと早歩き。

今日は係長と公園巡りです。