ほんとは主線を描かないで、こういう感じの絵を、ひたすら毎日塗って暮らしたいなって夢がありました。白い胸に血管入れたい。でも、それが上手になったら、どこへたどりつくのかな? 写実なのかな。ブキミの谷かな。でもこれは、老人になってもいつかできるかもしれないので、今はオイトイテ。
例によって家族事情で、金ロー録画の、党の上のラプンツェルを見ました。日本をとりもどーす!じゃなくて塔の上のです。次には魔女の宅急便をみました。あたしキキ!こっちはララ!(サンリオ
えっと、ラプンツェルの、物語の作り方に圧倒されました。そのあと、魔女宅(言い方が昭和のオタク)は、なんて日本的なんだろうとまた、逆に感動しました。
この差は何かというと、ラプンツェルは、言い方悪いですけど「かなり知能が低くても楽しめる」……というか、よく言う「何も考えないで楽しむ映画」ではなく、「もともと普段から何も考えていない人に向けて作られている」という感じがしました。ホント言い方悪いな。
一方、魔女のキキ。これはジブリ作品全体に言えることなんですが、そこそこモノを考える人間に向けて作られている「風」に感じました。「風」というのは、そのラプンツェルターゲットの人たちも充分楽しめてしまう、というか、そもそもそこはがっつりターゲット化されていて。それを、テーマを少し、哲学的?っぽくして「俺たち、子供向けアニメで喜んでる訳じゃないぜ?これ深いぜ?」っていう味付けに見えたんです。
まじでオマエ何様状態ですけど、ここは誰も見ていないブログなので、こういう発言を記録し、後から自分が見直してぞわっとする役目もありますので、お許しください。
で。このあたりが顕著なのは、ラプンツェルが自分が王女だと思い出すとき、いきなり自分が思い出すんです。天井の絵とかをみて。物語の中、きっかけらしいのはあったのかもですけど、最も丁度良いタイミングで、まるでタイマーが作動したみたいに思い出します。
でも、それで良いんです。その長期における心の葛藤みたいなのは。娯楽映像としてあまり重要ではないから。
娯楽映像と言えば、キキのホウキアクションなんかも、ああこういうの。当時のオタク大喜びだったろうなとか思って見てしまいます。また、「なんだ作中は全員善人しかいないのか」みたいな気持ち悪さというんでしょうか。
こういう、一見「人間の葛藤や悩み模様」に見えてじつは「お花畑の中で遊んでいるだけ」感、これが、日本を代表するアニメなのかとかな、限界なのかなとか、いろいろなことを考えていました。愚かな素人個人の感想ですので、ジブリ原理主義の方にはお許しを。
じゃあ、何が正解なんだ?正解を上げろよ、と。僕が好きな映画は、フットルースや、ストリートオブファイヤー、トム・クルーズのカクテルです。アニメは、銀河鉄道999は、小6の高石少年は卒倒するほどの衝撃を受けました。
はい。映画のほうは見事な娯楽お花畑作品ですね。999は、少年の日というテーマですけど、まぁ、ピンチは結構ありえなく切り抜けますね。そんなもんですね。じゃあ何があったら、アタシはヨシとするんでしょうね。批判だけして嬉しいタイプなんでしょうね。あーやだやだ
話戻って。今と、昔は時代が違います。ラプンツェルが作られたのは2011年。オバマ政権。今のアメリカ民主党が、本格的に加速し始めた頃。日本ではあの震災。魔女キキは1989年。日本はバブル真っただ中。お約束の展開も、ご都合調和も、問題なかったんです。世の中、シナリオがあっても、その通りに動いて、みんな幸せだったから。
時は変わって2024年。ご都合調和で動くと戦争になるし、国を追われる。ミサイルが飛んでくる。今、この手の作品に感じる気持ち悪さはコレじゃないかなって思いました。
「騙されるものか」今はみんな、そう思っています。だから、キラキラしたお花畑の世界に、身構えてしまうのかも……?いや違う、みんなが思ってるんじゃないな、自分が、思ってるだけなんだな。
多分、物語は、時代を映す鏡。イソップが残酷なのも、そういう時代で、処世術として残酷を知ることが必要だったんじゃないかな。
なるほど、だから逆に「何も考えない世界に行きたい」という望みをかなえる=思考を停止させるのが、今のエンタメなのかな。
うーん、そうなのかな。難しいな。
でも、ニュースも、これまでではありえないような犯罪多いし、たった数万の為に人を殺したり、強盗をしたりをよく見る気がする。
これ、何も考えない世界を産み出し過ぎた結果じゃないのかな。とかも思うのよね。
じゃあ、何を創れば?何のために?
世界をよくするために?世界が良い状態って、どういう状態を言うのかな?
戦争が無くて、
……資本主義が大暴走して、資源を使いつくす事かな。
難しいな。
物語の力ってなんなのかな。
大風呂敷は、畳まない。(ラノベのタイトルか)