風の強い日には

ごきげんよう。高石です。あまりにも風が強く、午後の外出を全部キャンセルしたりました。無理。飛んじゃう。おじさん飛んじゃう。

でも、こうやって「風が強い日だから無理」って用事をキャンセルできてしまうってのは、ある意味、すごく恵まれているんではないかなって思います。

隙があったので自分語りします。隙が無くてもしてるけどね!

自分は昔、やっとこさ入れたそこそこバカめの大学を中退しています。なので、学歴は果てしなくバカです。大学を中退した理由は、大学にいる時間があまりにももったいない、と思ったからです。周りにいる同学年の生徒たちとも全く合いませんでした。

合わない、って思ったのは、周りの人間のあからさまな無気力感です。自分こそバカなくせに、周りの人間の愚かさが耐えられませんでした。とにかく楽な講義をとって、夜に飲み歩いて、みんなでなぁなぁと大学を卒業するためだけに時間を使うのが、本当に嫌でした。

そして、大学2年目に支払うひゃくまんえん以上のお金を皇居の近く朝日新聞の本社で現ナマで受取り、そのままバイク屋にいって、出たばかりのZZ-R400を買いました(おいまてまてまて

大学にお金払わなかったので学生課に呼び出されまして。「大学マジで意味ないので、時間の無駄です。ここにいたくないです」と、思ったままのことを伝えました。ここはいまだに覚えてるんですが、担当してくれたおばさんが、そうよねわかる、みたいな顔をして、自分を否定しなかったことが、自分の選択が間違ってないのかなって確信したときです。

新聞配達をしながらの大学生活だったということもあるのか、おばさんかなり親身になって話を聞いてくれました。何がつまらないのか?やりたいことがあるのか?などなど。なんか大学disりまくるのがおばさんに申し訳なくて、ほわっと言い訳したと思います。

で、とりあえず休学にしておけ、といわれて1年間休学にしたのですが、その何か月か後に、やっぱ辞めますって言いに行ってます。グッバイ新卒カード。

といっても、考えてみれば自分は、最初から会社勤めをする気が全くなかったんだと思います。だから、大卒と言う肩書がそれほど重要じゃないと判断したんです。当時は、サラリーマンは強制転勤当たり前だったし、なんで特に尊敬もしていない上司や社長の為に自分の時間を使わなければいけないのか解らなかったので、最初から自分で仕事をやるつもりでした。

ただ、じゃあ何になりたいのか、って言う明確な目的があった訳ではなく。とにかく衣食住のスキルの何かを身につけたいって思ってました。

自分が中学生の時に消えた父親は、大手ハウスメーカーのそこそこ偉い人だったらしく、そのせいなのか、家を建てることにはすごく興味がありましたが、このルートは学歴ないと難しい、ってのが後からわかり断念しました。学歴大事。

なので、レストラン、ファミレス、居酒屋を転々として、食の方を伸ばしました。最終的に、お店を持てば、生きていけるって思ったからです。ノストラダムスを乗り越えた2000年、ついに自分のお店を持ちます。

そして、時代は移って、インターネット。PCとネットさえあれば生きていける環境を構築したいと思い、様々なことをしました。最終的には、海のそばか、長野の山奥にでも一人で暮らしていくのがマイプランのゴールだったのですが、いま何故か、埼玉の、公園だらけのこの町で子育てをしています。

風が吹いたら、雨が降ったら外へ出ない5時になったらお迎えに行って、ご飯作って、子供をなだめてすかしてお風呂に入れて、また早起きをして作品の構想を練る。昨今こんな日々です。

実は、多分今朝がた、珍しく、おそらく大人になって初めて、父親の夢を見たんです。

ほとんど記憶にない、おそらく今の自分より年下の頃の父親。
あんまり会話したことなかったんですけどね。

当時乗っていたクラウンを売却して、シトロエンのバンを買ってきたって喜んでいました。
これに乗って静岡から勝浦まで行くんだと。

シトロエンのあまりのボロさに、自分が、ちょっとそれ勝浦までは無理じゃね?って言うと、自分もそう思うとか言ってました。どうやら、クラウン売ったのは訳アリっぽいです。理由は聞きませんでした。

自分の人生を生きるってのは、なんらかの利益を得ることではなく。

学歴がバカで終わろうが、子供に振り回されようが、ボロい車を売りつけられようが。
自分で決めて、自分で進むこと。

自分の物語を作ることなんだなって、風がゴーゴーなってる晴れた日の午後に、思いました。

といういつもの随筆ブログでした。