軽自動車に乗せた主砲について(Tant on the Tank gun)

【みんな知りたい高石近況】

春の足音が聞こえてきますか?今年はガスファンヒーターでかなり助けられた寒がりの高石です。てか、春って歩いてくるイメージなくないですか?ふわっと飛んでくる感じで、足音しないと思うんですけどっ

などという屁理屈は置いときまして、最近の高石は「物語とはなんぞや」に突入です。またですまた。なんかいやっとんじゃです。

最近ようやく気付いたのですが、よく物語指南本にある「テーマとは作者の伝えたい事」とか、あれ、ウソですね。

たとえば、戦争反対!って伝えたくって映画つくると。いろんなキャラが何度も「戦争はいけない」って繰り返す。解ってるそんな事。みんなわかってる。だから、どんどんつまんなくなっていきます。クロ現かNHKスペシャルでやれって感じです。

逆に、面白くしようとすると、戦争反対という直接的な台詞からどんどんズレていく。じゃあ、面白さってなんだよ、って話を今日は書きます(また面倒なやつ?

【1:おっぱい絵の面白さ】

面倒じゃなさそうでしょ。おっぱい絵ですよ。らばた作品はもちろん、このブログでおなじみのように、高石は大きい胸をした女性を描く事が多いです。

そして彼女たちは「何をしているか」というと、多くの場合、何もしていません。ただ、謎の宇宙空間に立って、微笑んでいます。つまりおっぱい絵です。

この手の絵、私たち(誰よ)の界隈にはめちゃめちゃ多いですが、自然に受け入れてしまいます。受け入られる理由は「それなりに成立している=面白さがある」からと考えます。

つまり、可愛い顔なのに、細身の体なのに、重力を無視したおっぱいが付いている女の子。これは、軽自動車に戦車の主砲を乗せた面白さに近いと思います(そうか?)

また、その主砲のカッコよさ、破壊力などが主で、軽自動車はオマケである、しかし、そこに軽自動車が無ければ成立しないオマケとも言えます。ビッグワンガムが食玩としてガムが必要だったように(古いよわがんねよ

上記理由から、おっぱい絵の面白さは、アンバランスさや、その素材そのものが持つ魅力にあると言えると思います。

【2:おっぱい絵をつまらなくするには?】

では、しっかりおっぱい=魅力的な物、を描いても、「つまらなくする」にはどうすればいいか考えてみます。

うーん、例えば絵の中に政治的な思想を入れるのはアリかもしれませんね。もしくは、難しい計算式……いや、これは不要要素を足して、主題をかき消そうとしているだけで、おっぱい絵そのものをつまらなくする方法ではないです。とすると……あ。あった。

自分は、なんですけど「描き手のドヤ感が見える」と、つまんないです。「オレ、上手いだろー」おっぱい描いとけば褒められるから描いた、が見えたとたんに、萎えます。これはつまり、おっぱいに対する賞賛ではなく、描き手本人のエゴを描いているからに他なりません(そうなのか?)

ほら、上記の【1:おっぱい絵の面白さ】と繋がりましたよ。「戦争反対!」は「オレすごいんだよねー絵上手いだろー」で、作者のメッセージです。ホントに凄ければスゴー!ってなるんですけど、コレが透けて見えてしまう時はたいしてすごくない時です。

そして、「メッセージ=作り手のエゴ」を入れることで、どんどん「人を楽しませる事」から離れていく。

「面白さ」が無くなっていくんです。

【3:つまり、面白さとは】

だから、何をすれば面白いかは、ただ、おっぱいを描けば面白いんです。ひたすらにおっぱいをかけば、そう簡単に「つまらないもの」にならない。そのくらいおっぱいは強い(なるほど、だからみんな描くのか)。

でも、そこに「自分」というメッセージを入れていくと、途端に面白さが無くなっていく。物語についても「戦争反対メッセージ」をガンガン入れていく事、下手したら主人公が書き手の思想を代弁し始めること。これで駄作が決定すると言っても良い気がします。

でも、これ↑、結構指南書にあるんですよ。「主人公には、書き手の想いを託せ!」とか。高石は物語をあまり読まない癖に指南書ばかり読むから、物語を上手に作れなかったんだ、って思いました。

【4:では、らばたの物語における”おっぱい”とは】

「自分も好きで、みんなも好きで、コレが書いてあればそうそうつまらなくならない」、というもの。これは、結構ある気がします。戦いもそう、命のやり取り、主人公の挫折、こういったものを「ちゃんと」かけば、それは面白い。

ところが、らばたはエロマンガ作品。エロシーンにはそういった面白さは不要で、エロシーンの前後に戦いとか入れると、前述の「おっぱい絵をつまらなくするために政治的思想を入れる」に近い気がする。

では、表面的(=エロいカラダとしての)な、物質的なアンバランスだけを描いておけばいいのか。もちろん、否である。

軽自動車の主砲は「本当に撃てるから」ロマンがあるのである。表面的な物質のギャップだけを描いても、それは読み手の奥まで浸透しない。らばたヒロイン、彼女たちの心の内側にある、軽自動車と主砲とはなんだろう? そしてそれをどのように描くか。

つまり、テーマとはこれではないか。「彼女たちの主砲」(もはや日本語として成立しなくなってきた。

そして、そう、うちのエロシーンには、決定的な特徴がある。

言わずもがな、相手が人ではないことだ。

【5:異種姦というロマン】

らばたがらばたであるために、異種姦は必須である。異形の者たちと交わり喜ぶ女たち。外見上のソレはもはや説明不要。最高の景色である。

では、彼女たちに内在する軽自動車と主砲とは、軽自動車が「異形の者」で、主砲が「普通の愛情を持てる」であり、彼女たちはモンスターと交わり、心から「ソレ」を愛してしまったりする。

これが「実際に撃てる主砲」というロマンなのだ。お分かりいただけるだろうか。いや、これが、愛する常連の皆様にお分かりいただけると、私は知っている。だから私たちは、通じ合うし、高石は描き続けることが出来るのだ。

そう、らばたの異種姦とはまぎれもなく、ロマンなのである。

(了)

……って文章打ちながら考えたんだけど……そうなんだ……ロマンなんだ……知らなかった……てか(了)とかなんじゃそりゃ

カッコつけマンか
カッコインテグラ(永遠に昭和