「誰に」向けて描くか?

すごい風の夜でした。びしょぬれでプランターや植木鉢を玄関ポーチに避難させておりました。

その中の1つ、ヘデラというツタ系ハチがあるのですが、1メートルくらいの支柱に巻き付かせて、背が高くなっているのです。それが番線(ハリガネ)が緩みビュンビュン引きちぎられそうになっていて、「がんばれ!今助けるからな!!」となかなかのワンシーンを演じておりました。

天気悪くなるって解ってるんだから前もって避難させとけばいいのに、準備の悪さがドラマを作ってしまうアレです。平凡なライトフライなのに守備位置が深すぎてファインプレーに見えてしまうアレと一緒ですここまで前書き

「誰に」描いている、なんて、実はあんまり考えたこと無くて……無くはないか、最初から決まっているだけ、自分は「愛する常連のみなさま」に向けて描いております。

たとえば、ツイッターとか、最近だとYouTubeとか。「え?なんでこれがこんなに伸びるの?」ってやつ、あるじゃないですか(また自分の事棚に上げて)、それほどの魅力も感じられないものが、めちゃくちゃ伸びてたりする。

で、あれ、ツイッターで微妙な絵が伸びる理由は「誰が描いたか」だと思うんですよね。その誰、ってのが、「フォロワー数の多い人」になる訳で。勿論、フォロワー数の多さは、作品が目に留まる多さにもなると思うんだけど、「みんなが支持してるものは良いモノ」という思惑はあると思うんです。

自分は、「みんなが支持してるものってのは、既に沢山あるし今後も増えるだろうから、自分が作らなくても良い」って思ってしまうんです。「欲しいものが存在してない人に届けたい」という考えでして。

でも「流行ってるから作る」というのは、お金のゲームとして考えれば、重要だとは思うんです。ただ、その、お金のゲームって何、ってことですよ。じゃあ、60歳で10億持ってたと。どうします?絶対使いきれないでしょ。

でかい家を建てたって、家族が常に見えないから嫌だし、メンテも時間がかかる。人を雇えば、指示する時間が取られるし、可愛いメイドなら精液も取られる(何言ってんだ)。

良い車もいい服も、それを持ってる自分がそこまで洗練されていないので、カッコ良くない。また最近は特に「お金たくさん持ってるけどあんまり頭の宜しくない人」も多いから、カネ持ってるオレ様スゲーマウントに巻き込まれるのも嫌ですしそう見られるのもあんまり。

となると、お金沢山もってても、寄付するか学校作るくらいしか思いつかないでしょ。かといって、寄付して何にも仕事しない役人がさらに仕事しなくなるのも良くないし、学校作って面倒な博士さんたちがいっぱい来て乗っ取りの算段されるのもその防衛に時間を使わされるのも御免でしょ。

ほら。となると、「無いものを作る」「届いた人が喜ぶ」が自分にとって最強で、マネーゲームは生きていければ結構どうでもよかったりしちゃうんです。

また、別の見方をすれば、既にあるモノをみんなでよってたかって作る、というのは、市場の質の低下に直結していて、結局はそういう人たちは自分の稼ぎ場所を殺していると思います。

最近は株も流行っていますね。知人の大学生もやってるみたいだけど、掲示板の言うとおりに投資して今はそこそこ勝ってるそうで。そこの受け売り論がもう面倒で。で。それって、自分の経験になってないから、再現性が無いんですよ。今は数字上勝ってるかもだけど、永遠に掲示板に頼って株を投資することになる。制作も、流行りを追っかけて作って、その上澄みだけで生きて行こうとするの、自分は耐えられない無駄な時間なんです。

あ、また、貧乏同人屋がなんか言ってる。
新作は3月内を目指します。monstertour#2です。