徒然なるママに

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徒然なる……ママは良いモノだ。優しくて、可愛くて、血がつながっていなくて、自分より年下ならなおよい。自分が少年なら、年上でも良い。願わくば前髪ぱっつんのママがよい(切望)。
何故ママが良いのか。ママは優しいからだ。ママはすべてを認めてくれるからだ。自分は認められたいのだろうか?いや、認められたいのは少年の時だろう。
少年の時は、大人に認めてもらえないと、生存が出来ない。生存が出来ないと死ぬ。死ぬのは嫌だ。だから少年は、ママを求めるのだろう。
ママに認めてもらって、よしよしされたい。可愛いママの爆乳に埋もれたい。至福の時を過ごしたい。
でも、爆乳に埋もれるのは生存とどのような関係が?確かに、間接的に生存にかかわるかもしれないけれども、そんな迂回した欲求を本能は求めるだろうか?
性欲かもしれない。おっぱいが好きな理由は、それは付けようと思えば色々あるかもしれないけれど、ハンバーグが好きという理由と変わらず、好きだから好きである。でも、おっぱいを見てると興奮して、射精をしたくなる、というのなら、性欲だろう。
となると、ママは性欲の対象か?ファンタジーの中なら、成立する。いや、ファンタジーだからこそ、成立する。となると、ファンタジーはママを描くべきではないか?
つまり、ママはファンタジーである。
……と。先週まで3回ほど続いた物語形式ですが、今週はふと思いついた「徒然」方式にしてみました。「文章とは何ぞや?」という事に直面しています。文章を書きながら考えるタイプの自分は、今日の表題「徒然なるままに」をまず書いて、これをお題とし、ただ漫然と言葉を紡いだのが今日の文章です。着地地点など考えず、思いついたことをただ、記述しました。
物語形式にして思ったことは「着地地点を考えがち」になることです。これがめっぽうつまらない、というか、どっかでみた話になる。最後「頑張ります」締めになるのは仕方ないとしても(もうやめますって言わないし)、なんかうまくまとめようとするのがしゃらくさいのです。
徒然は、とにかく、ノーシンキングで書くので、これが自分となります。自己を捨てた自分です。テンプレートの面白さはないけど、自分、高石ふうという面白さはあるような気がします。
自分語りブログ、初めて10数年。ようやくこの地にたどり着いた気分でス。
新作、暑くて中断中です。そうめんばっかり食べてます。