ギリギリイイネ

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最近、自分の姿勢について注意しています。ダメな姿勢だと疲れやすいんです。なので、タイ米じゃない大枚はたいて買ったアーロンチェアではなく、やっすいニトリです。座版がめっちゃ硬いです。でも硬い方が座骨で座りやすいんですよ。一周回ってここに来るという、不思議なモノです。
えっと、趣味でやってるツイッターの話です。使い方としては、プリキュアを愛でる場所です。それと、情報を仕入れる場所です。思ったより女性(のようなアカウント名)のフォロワーさんが多いので、今日の挿絵のような絵を上げるのは少し躊躇します。
で。くだらないツイート、というか、人の悪口ばっかり言ってる人とか、政治が悪い社会が悪いという人は、目に入れたくないのでガンガンにミュート&ブロックしてます。こういうネガティブな思想は伝染するので、目に入れると健康上宜しくない被害が出るからです。でも、世の中を知るのには、そういう人も許容すべきだとは思うのですが、そもそもツイッターで知れるのは世の中ではなく、常にスマホいじってる人たちの欲求不満です。
いやいや。昔は。自分も世の中の不平を、このブログでもよく垂れ流していたものです。だから、気持ちは解らないではないです。ただ、自分がたいしたことがない人間である、という事は忘れなかったと思うのです。だって、すごい人をいっぱい見て来たから。
今は、「ツイッター=世の中」になり、「見たくない人は見ない」にすれば、自分は王になれます。王になると「自分はすごい人間」だと錯覚します。とすると、「すごい人の立場」で色々言い出します。怖いのは「あれ、この人すごいのかな」って自分まで目が曇ること。そっちへ意識が寄る事。
以前、「自分は絵が上手いと思うか?」というタグがあって。結構な人数が「自分はそこそこ上手いと思う」とか言ってて驚いたことがあります。何をもって上手いのかよくわかんないですけど、プロがデザインしたキャラに、色指定をそのまま使い、謎ポーズ。それはクリスタの機能が補助してくれてかけた図形では?(言い方) そしてそのキャラが好きな人たち、その人にイイネしておくと、得になる人たちがたくさんイイネします。ああこれで、そう思っちゃうのか。恐ろしい。
この世界でなにかを試しても、自分が求めるモノは得られないだろうなって解ってたけど、プリキュアを描きたかったから、そこにいた。あ、ちなみに、らばたからあっちへ出張してるのは「おっぱい大きくかいておけばそういう絵としてキマりやすい」から脱却するためです。だから今回の理由も似たようなものかも。
で。「趣味」だから、別に、得られる必要は無くて良い、勉強だから。と。でもこれが、最近、「損失」であることに気づいてしまったんです。
自分は「何かを」作り出したいのだけど、それがよくある、空中浮揚謎ポーズではない事は確か。でも、自分がそこにいることで、そういう絵を描いてみたりする。そうすることで、思考を取り逃がす。思考をしないから、次回も同じことをやる。「なんか考えなきゃいけなかったはずなのに……」と思いつつ、意識の下の方でする声に、また蓋をする。
このブログを書く理由は、愛する常連様へ、高石の生存報告と、そして自分の思考整理としても使っている。ここまでをまとめると、「自分がいる界隈は、自分が求めていない場所ではないか」事。では「自分が求めている場所ってなに?」ってなる。
ここが、多分、ブレるんだろうな。昔から、自分が絵に「求めているモノ」は、賞賛ではなくて、お金である。できれば、自分の手で作り出したもので、やりたい。だから、二次創作でひともうけ、はあんまり興味がない。となると、あれ、一番はお金じゃなく、「ぼくのかんがえたさくひん」なのかな(二次創作の時点でそれほどすごいと思えないのだから、そりゃあそうなるよねは、ちょっと置いておく)。
つまり、「自分が求める場所」とは、「それ」が出来る場所なのかな。DL販売はそれでお金になるので、最高の住まいなのね。
で。最初の「椅子の話」なんですけど。高価で、色々な機能使えるものより、結局自分の持つ「座骨」という機能が使えるのがいい、ってことに。もう、板で良いんじゃないかという事になっています。
姿勢を注意する、というのは、自分の制作に対する姿勢に注意するのも同じ意味なんだ。姿勢とは、本質のこと。義理のふぁぼ、義理のイイネは、もう、要らない。足をつかまれて、進めなくなる。
あれ?これ、ツイッターやる必要なくない? じゃあなんで続けるの?
「あなたは絶対に面白くないマンガを描いてください。100人に読んでもらいます。100人中100人がつまらないという漫画を描いてください」
これ、出来なさそうでしょ?誰か一人ぐらいは「オレはこれ好きだよ」って言っちゃう。
これなんです。ひるなんです。民放プリキュア以外見てないけど。置いといて。
自分の中身をきちんと出して、それを足跡として置いていく。これを振り返ってみたら、そこに「自分」が見える。コレを誇ろうと思います。だって、借り物の足跡やウソの足跡として残したら、何にも見えない。で。「イイネされたい自分」が残る。
自分に自信が無いから、イイネされたい自分。
一番なりたくない、自分だ。
自信をもって、イシを置いておけ。
囲碁の「石」つまり布石、と、「意思」をかけた。
ふふふ(ふふふじゃねえ)
語った。