おはようございます。こっちではあんまりプリキュアプリキュア騒がないことにしていますが、これは、描画についてのレポートでして許してください。ツイッタで絵を描いてて、思ったことです。自分の考えの推移みたいなものをまとめて書き残そうと思いまして。
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この手記は、描ける人にとって、当たり前のことなのかもですし、もしくは、ド的外れかもしれません。でも、残しておきます。笑いたければ笑うがいいさケラケラケラ笑うな
① びびる現状
例えばです。自分は、ワンドロ(=みんなで絵を描いて見せ合う企画みたいなの)でれいかちゃんを描くときなど、他の人の目に触れるという意識がどうしても、働いてしまう。そこで湧き出るのは「失敗したくない」というびびり。
とすると僕は「失敗しない方法」を探す。それが、どこかの本に書いてあった「方程式」による描き方。それはれいかちゃんの方程式ではないので、完成は当然、れいかちゃんにならないのだけど、この方程式に頼れば、人物画の整合性としては破綻しない筈だ、と思っている(んだと思う)。
その破綻しない整合性を自分の正義の土台として、その上で描く。それなりに楽しい(多分、真っ白い紙に何か線を引くという原始的な楽しさも含まれてるかと)。
② 問題点
しかし問題なのは、この時に既に、頭の中にれいかちゃんはいなくて、「いま描画中の、目に映るモノのみで判断している」ということ。しかも、自分の視野が狭まってるから、目、口、といったパーツの部分でしか、判断してない。
ひととおり描き終えると、「自分が何かをやり続けた満足感」が自分を高揚させる。その気分で見るのは、この製作中で重要視してきたもの、つまりパーツの部分のみ。「れいかちゃんを描こう」というのではなく、「人に批判されないものを描く」(?)的な方向性にすりかわってるのではないか? これがもう、大問題なのに気づかない。
おそらくこれが、翌日の(゚ロ゚)に繋がると思う。翌日は「似てるかな?可愛いれいかちゃんはそこに居るかな?」という視点なのに対し、描き上げた瞬間は「どうよこの髪の描き方!」とかそこで興奮してる。だめじゃん。
③ 対策
これはいけないっていうか、だめ。何にも考えてないくせに愛してるとか、死ねって感じ。なので、れいかちゃんを描こう、と、強く思う。いったんココで、ちょっとへらへらする。可愛い笑顔が思い浮かぶ。鮮明に。スマイル5話のジェノサイド振り返り。それを描きたいと思う。描けるかどうかじゃなくて、描きたいと、痛烈に思う。
輪郭から入った。先にまるばってんを描かない、というか、先にそれがあるとジャマになる。正面絵なら、それほど、なくても行けちゃう。自分のイメージと、描画を常に比較しながら描くかんじ。 ゴールが明確に見える。「こういうのを描こう」と意識している。
これは、前述の「正義の上に描く楽しさ」とは、ちょっと別の楽しさがある。使うとしたら、まるバッテンは、従。「こう描きたいための、補助線」であって主は自分のイメージ。「この上に描いたら上手くかけるよ」という土台ではない。
ああ、これのほうがいい。れいかちゃんを思いながら描いたほうが健全?だし、楽しい。そして、今回の検証確認のために、方程式ありきでまた描こうとした。だめ。ビューティビューティフルスマイルが先に浮かんじゃって、方程式を無視しようとする。検証にならない。
④ まとめと反省
多分、自分の中に「上手いと思われたい」とか「ふぁぼたくさんもらいたい」とかみたいなのがぐじゅぐじゅとあって、それなのに自信はなくて、だから、そういう外的な根拠にすがりたいのだと考えた。目的は、可愛いれいかちゃんを描く、だったはずなのに。いつのまにか、目的が手段にすり変わってしまっている。しかも最愛の嫁を手段にするとか、クズすぎる。
猛省した。ごめんなさいれいかちゃん。
っていうレポート。
-----------------------------------—以上です。キャップ