社会を斬る高石(最近多め

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また線画アナログです。んで、今日は暑かったですよ!さいたまシティ。夏は嫌いじゃないです。いつもは自転車で行くお買い物も、今日は徒歩で行ってやりましたとも。で、うっかり重くなって、おかげで四葉牛乳かいそびれました。あほか。ただ、暑くなるならがっちりなってもらえば、こころおきなくエアコン使えるのですが、今だとちょっと気が引けるのも事実です。で?

そういえば、先日、NHKでストーカー問題の番組やってまして。流し見ではあったものの、いま、ツイッターやってるせいか、すごくリアルに受け止められました。え、何の関係が? それはですね、ツイッターにもこんな共通する思考を持つ人が、思ったより多くいるのではないかと思うからです。それは「自分の世界の出来事はすべて自分で決められる筈なのに!」という思い込みです。おお。斬る気だ。

このブログを見に来てくださる方は、結構年齢イってるかた多いと、勝手に思っておりまして。そんな皆さんは既にもう、世界は全く平等ではなく、欲の強いいろんなヤツの意思によって左右しているのはご存知と思います。平和に、のんびり暮らしたいと願う者は、どうしてもそのアオリを喰らうことになることも。

つまり、自分で決められるのは、今日の夕飯ぐらいだったりしたり。いやさ、それすらままならなかったり。で、たとえばそれが思い通りにならなくっても、まぁ、自分の心の中で処理します。それに対して、ある種の人間たちは、自分が不幸であることを高らかに叫び、さらにそれを後ろ盾として、なんらかの行動をしたりします。

ストーカーは、自分の思い通りに行かない理由を相手に無理やり押し付けます。恐ろしいほどの自己肯定。ツイッターも、つぶやき程度とはいえ、雨だれのように不満を積み重ねて、いつの間にかストーカーと同じような思考に染まってしまってるんじゃないかという気がしてなりません。

「電車なう。前に立つやつが目障り」「コンビニのレジ遅い」「眠すぎ」「この先生の講義退屈」 普通に生きていれば、全部、あって当たり前のことです。こんなの、何も不思議ではありません。自分の周りに居る人間すべてがイチロー級の生活のプロだとしても、自分にとっての不都合はおこります。反面、その自分本人は「コミュ障で、友達がいなくて、寂しい存在である!」と、堂々宣言する。まるで世の中は、そんな自分に優しく、いたわるべきだ!とでも言わんばかりに。

ああ、こんなストーカーやら未熟な思考の人間!こんな日本!いやだなぁ~!……なんて、じつわ。あんまり思っていません。ある一定層の、しかも操作しやすいといったら語弊があるかもしれませんが、そんな消費者の動向が大まかに同じ方向を向くというのは、経済にとってもまんざら悪くない状態ではないかと思います。

また、のんびり暮らしたいと願う僕やみなさん(決め付けた)にとって、彼ら彼女らのように年中何かに苛立ち続けているのは非常に疲れます。これらの声は、僕たちの変わりに、日本経済を大きく動かしてくれてるチカラにもなってくれてるのデス。

おかげで、どこにいっても冷房は効いてるわ、人に会えばある程度の笑顔はかけてもらえるわ、道はきれいだし携帯はつながるし、電車なんて5分おきに来るんですよ。得ている利益のほうが圧倒的に多いですよね……などと、ちょっとまた素人が偉そうに語りましたが、もし、皆さんの周りにも自分と合わない、ムカツクとかって人がいたら、ちょっとまてみてください。こっちが静かに本を読んだりしてるときに、その人はネットなどで代わりに声をあげてくれている人かもしれません。

――って、ツイッター見てておもったことを、ハナにつきまくりで偉そうに書いてみました。自分は違うグループから世の中を見てるぜ的な、いつものアレです。あ、ツイッターやってない人は、また高石がほざいてるよ、とお見受けになられるかも知れません。事実、ほざいてますが、でも、あんまり誇張はしてないつもりです。そう言う世界なんですあそこ。その中に、ああ、お話できてよかった、という人がポツンと紛れ込みます。そこがすごく嬉しい瞬間でもあります。

「野々村議員、スマブラ参戦!!」には腹抱えてしまいました。