好きな子が出来ると、勝手にその子の日常を想像したりしません?
ましてや、複数好きな子が出来ると、想像したその子たちの日常を比べて、どちらが自分に合ってるか!?とか考えたりしませんか?こんにちわキモ気味妄想家の高石です。評論家、音楽家、作家、があって妄想家がなんでないんだ!どれも妄想じゃないかあああ!
すみません話戻しますたいした話じゃないけど。でえ、あなたがもし男性で、女兄弟がいないとすると、その想像する彼女たちの日常は、かなり上澄みをすくったような美しいものである可能性があります。ぼくもそうです。女性を勝手に美化する傾向がありますよね。
そこで本題です。マナとみゆきと、どっちと結婚するかってことなんですけど(高石はついにここまでキました)みゆきは、なんだかんだいって、主役なんです。だから、僕はみゆきをサポートする立場でいてあげたい。もっとも、みゆきもきっと、サポートしてくれると思うけど、その踏み込み幅が結構お互いに大きくなると思う。
マナは、一緒に歩いてくれるタイプの女性だと思います。出すぎず、引きすぎず、とても居心地がよい気がします。でも、お互いの踏み込み幅が小さくても成り立つということです。これは僕にとって最強に望む関係ですが、相手がマナだとなると、やはりちょっと寂しいような。
フフフ。アニメキャラ(しかも女児向け)に恋愛感を語るようになりましたよ。僕もなかなかのものです。そこから。人を好きになると言うことはどういうことなのか。自分が居心地よい女性を望むことなのか、自分に影響してくれる女性を望むことなのか。なんて考え始めたりするんです。
若いころに好きになる女性は、ありがちですが「つれて歩きたい女性」「見た目が可愛い女性」でした。あと「触りたい女性(本音か)」にまっしぐらでした。でもいままでは、これらは、人間の「タマシイの入れ物としての体」が欲しているものであつて、人間の「タマシイそのモノ」が欲しているものだろうか?と。
では、自分のタマシイが好きになる女性というのは、どういうものだろうと。なんか、そこに何パターンかの種別があって、その種別によって大きく好みとして別けられるような気がして。となると、「外見」に関しては、慣れちゃえさえすればかなり関係なくなる。
で、その種別と言うのはどうやってみるかというと、トラブルのリアクションに現れると思うんです。何かあったとき、どうするか?立ち向かうか、逃げるか、なやんじゃうか、ウソでごまかすのか。
多分ストーリーとは、これらを描くことなんだなって、最近、よく思います。自分のタマシイが欲してるものはなんだろう? からはじまらないと。そのあとに、外見があって、職業とかのテンプレートがあって、たれ目だのなんだのの顔の記号があって。
ゴムまりみたいな胸がついてりゃ誰でも惚れるのか、って、そんな単純なモノじゃないとは思ってたけど、根っこは案外単純だったりもするんだなぁと。最近はそんなことを思いつつ、じんわり製作してます。
面白いモノがつくりたいなぁ。
え?そんなおわり?
うん。でも、とっても重要なことをかきました。忘れないでおきます。