タイムカードやシフト表といったものから離れて、自営業をやってみました。んで最近は、自営業の「営業時間」というガイド線からも離れてみてしまいました。すると、多くの時間が自由になります。寝るヒマも無かった時は、見えなかったことが、イイコト、ワルイコト含めてよく見えるようになりました。
やばい、今日もスーパー駄文炸裂です。
でもよく見ることがイイコトなのか、解りません。用水路の水を顕微鏡で見るのは、とてもわくわくしますが、すごい名画でも、少しはなれて見ないとただのなすりつけられた絵の具にしかみえません。世の中の色々な「どっちなのか」を、常に自分で選択して生きるのは、面白いけど、時々不安になったりもします。でも、その不安は誰も解決してくれないので、自分で「不安にならないガイドライン」を作ったりします。「この時間にはきっちり運動をする!」 ことで、健康を維持できている安心ガイドラインになります。
……おいおい、そんなことしてるなら、どうしてタイムカードを嫌った?というか、なんで、タイムカードやガイドラインを繰り返すと安心するんだ? ひとは、何かを決めて、それを繰り返すと安心するのかな?でもでも、若カリシ頃、日雇いで毎日現場行ってたけど、何にも安心しなかったぞ?
てことは、安心ってのは繰り返す行為じゃなくって、多数大勢がやってることに近づくことなのかな? みんなが似たような時間に出社したり、同じ時間の電車に乗ると、安心するのかな?てか、安心ってなんだろう? 「=より、死ににくい状態にあること」なのかな?
でも、ガイドラインを繰り返して、安心だぁ~って言いながら時を過ごすというのは、生きていることになるのかな? 不安にある状態だと、前へ進もうとする時に抵抗感を感じるから、この時に一番生きてる感があるような気がするとか、時間があると、部長の不機嫌の原因とかを考えずにすむのは良いのですが、なんでもない簡単なことを、グダグダグダグダ考えるようになったりしませんか?
……すみません 明日日曜なんで、ちゃんと日誌かきまーす☆