ちょっとこれ読んでください。いつもとは違う文の書き方で書いてみたんです。
「彼女は森の小道を歩いていた。背の高い杉の木が両側にそびえて、奥へずっと続いている。頭上遥か高くで、杉の緑が光を透かし、地面にまだらに光を落としていた。夏の暑い日ざしの中でも、森の中はひんやりと感じる。すこし水分を含んだような冷たい空気が、半そでの腕に心地よい。」
で……。
これで、彼女の笑顔は伝わりましたでしょうか? 森の、甘い匂いのような、あの心地よい空気(個人差はありますでしょけど、私は好きな空気デス)湿った地面は? 地面を歩いているアリとかわけわからん虫とかは見えましたでしょうか? 杉の木の間に見える空間の景色や、木々の揺れる音だけの静かな場所は?そして彼女の白いワンピースは伝わりましたでしょうか?
これは、私が、文章について色々独学する前に書いていた書き方で書いて見ました。「独学する前の書きかた」とは言っても、既に私の中には様々な新たな考え方が入ってしまっているので、純粋に以前と同じかどうかは違うと思います。しかし、今でも素人の域を抜けない私の、さらにもっとスーパー素人の頃には、こうやって書いていました。
「伝わりましたでしょうか」の部分で、あなたにはどれだけ伝わったでしょうか……?描写の一言も無い「白いワンピース」なんかが見えてしまっていたら、論理的にはそりゃ大変なことです。でも、実はそれほど大変な事ではナイと思うノデス。私とあなたの持つ世界が似通ってるってことだと思うんです。
この、「独学する前の書きかた」は、純粋に、私の目に映る架空の景色を、私の目線を追って書き綴っています。それは存在しない世界だから、私がこうあってほしい、と思うような世界です。その世界があなたもすきなら、あなたもきっとこうあって欲しいと思うわけで、これは言語で表すなら「波長」とでも言えばいいのでしょうか、あなたと私の波長はそれほど遠くないということだと思うのです。
でも、色々なテクニック書や、勉強を積むことでこの自分の「波長」を消して、なんか、誰かのパッケージ化された波長を流用することで小説がうまくなった気がしたりします。でも、これは、多分、私の見えた「世界」じゃなくて、私がいいと思った「誰かが書いた紙の上の文字」をあなたに見せてるだけなので、当然「世界」は、あなたに伝わらないと思うんです。
小説に限らず、物語って、この自分の「波長」はすごく大事なんじゃないかなって思いました。だから、もっと、自分であるべきで、この「自分」が無いものは作品として抜け殻なんだろうと思いました。きっとお客さんはもし、外見のよさに釣られて買っても、それが抜け殻なら、深い満足を得られないだろうし、でも、人は視覚に釣られがちなので「コレは良い物だ」と一生懸命言い聞かせようとして、どこか腑に落ちない、乾いた葛藤が湧き上がってくるのかもしれません。
だからなんだよってことなんですけど、こんなことを考えるようになったのは、これ、ブログなんで横書き表示なんですけど、文章自体はワードの縦書きで打っています。それ、コピペしました。自分でも知らなかった発見なんですが、縦書きのほうが、私には圧倒的に書き易いようデス。倍率で言えば、篠沢教授以上です。
ただ、縦書きはどうしてもなれないせいでしょうか、軽口を叩きづらくなってしまい、文章の軽快感は感じづらいです。ただ、書きながら、自分が前に進めるのは縦書きのよさで、自分が前に進む時に立ち返るのは自分であるので、結果的にあなたにむけて「波長」を出しやすくなるようです。ウェイブ・オブ・ラブです。