ひょうたんからこま

最終更新:2026/01/27(05:54)

漢字で描くと「瓢箪から駒」らしいです。これは、地味めな子が脱いだらすごいコマをお持ちだった、という中国の故事に由来します。しません。

えっと、ドット絵です。先週、なんの意図も無く描いたドット絵ですが、なんでこんなに描きやすいんだ?なんでこんなにも「早くまた描きたい」ってなるんだ?という問いに、明確な答えを出せず。しかし、こんな麻薬を見逃す手は無いので、この点について、ちょっと考えてみました。

最初は。昔のお絵かきbbsとか、自分が書き始めた頃のドット絵と同じだからかなあと思ってたんですけど、これどうやら違うと。「自分がまだ絵を描き続ける本質」がそこにあるんじゃないかなと思って。ちょっと。考えてみました。

自分にとっての「絵の本質(なんかえらそう)」とは。多分、自由さというか「自分が思ったものを形にできること」なんですよね。

でも、デジ絵では自分が思ったものを形にするときに、いろんな制約があるんです。「デジタルの作法」というか、自分がやりたいこととその成果物の間に、「オペレーション」つまりアプリ=クリスタの使いかたや、こうすればアプリでできる、みたいなことなどが含まれてくる。

とすると、逆に「アプリでできること」から逆算したほうが効率がいい訳です。例えば、綺麗なグラデーションとかを仕上げにいれれば「簡単にそれっぽくなる」とか。だから、絵を描くことより、「とりあえず成果物を出す」ことが目標になる。いくらでも、アプリがきれいにしてくれるからね。

とすると「自由であること」が描く動機だったのに「成果物を出す事」が主なミッションになってきている。しかも、それをエックスなどにポストするとなれば。それなりのクオリティを求められる。とすると、これも自由ではなく、成果物のクオリティが主な動機になる。クオリティは例のアプリのオペレーションが簡単に実力以上にあがる。

僕はこう描きたいのに、こう描いたら、みんなにスルーされる。それを跳ね飛ばすだけの強い意志は持っていない。だから、多数派の作法に寄せていく。つまりこれは、「誰かが思うものに、カタチを近づけること」に他ならない。

あんまり自由じゃない。

その点、幸い、このブログは自分の日記帳みたいなもので、低クオリティのものを上げるのに自分はそれほど躊躇しない(すまないねぇ・・・)。好き勝手にできる=自由でいられる が、10年以上……え!?20年!!?続いている理由だと思う。

自由であること。だから、また描きたくなる。具体的な「製作においての自由」と、その自由を削られていて自分が、プレッシャーを感じていた事、をまとめてみました。

ドット絵には、自由がある。自分のやりたいことに直結している。

だから、楽しいんだ。と解りました。

楽しいものは、続くし、上達する。

でも「好きなものを好き勝手に描いて、市場で評価を得られる(=自分の場合、売れること)」なんてお気楽な世界じゃない。

自由であること と 市場で評価されること は別物だ。

ただ、これも幸い、同人の世界は、自由さと市場評価の乖離が、商業ほど遠くない。僕の自由を、市場原理に変換すればいい

次はコレ。やってみよう。