冷やし中華始めたい

この日々、いつまで続くんだろう。。。連日、きちんと睡眠をとれないのがこんなにも足枷になるとわ。皆さんはちゃんと眠れていますか? 昭和漫画の囚人みたいなでっかい足枷を引きずりながらも、前に進みます。あのガンダムハンマーみたいなやつですよ。

というか、ガンダムハンマー、あんな鎖じゃむりですよね?切れますよね?振り回せないですよね。さすがゴックだぜの話はおいときまして

つまり、由々しき事態です。上記のように、ガンダムハンマーのことじゃないよその上、制作において「睡眠をとれない」のもゆゆ式なのですが。「自分は”何を”描くんだ」という恒例の大命題に対して、毎回自分がブレるのがとっても問題です。

らばたをはじめて10年ぐらいは毎回、好きなように、思いついたものを、具現化できるのがうれしかったんです。でも、それだと、ひたすら「浪費」じゃないかなっていつも思っていて。

浪費っていうのは、たとえば、「お菓子を食べたい!」ってキャベツ太郎買って、ああ美味しかった、というのをずっと繰り返しているような。

じゃあ、このキャベツ太郎を毎回食べることで、自分には何が出来たのか?パッケージをまとめて、並べて、製造年月日を確かめたり、生産工場を比較したり(何か所もあるのかな?)、小学生の自由研究みたいなことすら、自分はやっていない。

そりゃ、描き続ければ、制作に関してのスキルはいくらか上がるかもしれませんし、自分の歩いてきたところが道になることも解るんですけど、自分のこの道はあまりにも整備されなさ過ぎていて、あっという間に草だらけで埋没すると思います。

なので、この制作の足跡をきっちり、道として残して、もしいつか、他の誰かがこの道を使うのなら、ちゃんとその人の目標へ近づけるような一助として機能させたいんです。

そこで。その、「毎回好きなように」絵を描いていた頃というか、自分の手が動くように、今日の上の挿絵を描いてみました。

何も考えない。好きなように。描いていて気持ちいものを。

はい。うん。いつもの感じ。やっぱこれが好きなんだなぁと。

そしてやっぱり、これが、自分のキャベツ太郎。

このキャベツ太郎=駄菓子を、例えば「豚汁定食」(今日ちょっと寒いもんね)とか、「野菜炒め餃子セット」とか、1人前のお料理として、「あれを食べたい」と名前があがるものとして、存在させたい訳ですよ。

いや、キャベツ太郎をディスっている訳じゃないです。きゃべ太郎は、確固たる固有名詞として存在していますし、強いファンを持つお菓子です。ここでは「なんでもいいモノ」「食べなきゃ食べないでもいいモノ」という例としてお借りしています。

この絵を、どうしたら、美味しいものになるのか?その方法としての漫画や、CG集などをやってるのですが、皆さんがそれを食べてくださって「お、ちょっと美味しいね」で終わっちゃうのが嫌なんです。

「これも美味しい」「まだ美味しい」「今回も美味しい!」みたいに、ちゃんと、街の定食屋として機能したい訳ですよ。

そして「こないだ食べたのまた食べてみよう」みたいに、過去に買った本を、読み返してみてもらえるようになりたいんですよ。。。はい。

自分は偶然、異種という世界に入ることが出来て、自分が好き勝手に妄想したものが、皆さんのスキとさらに偶然に同調しただけで、自分のほうからお皿に乗せて提供している感覚ではない……いや、お皿は、DLさんが作ってくれました。

だから、自分、ほんとうに、何もやってないんです。

こんな長くやってるのに。いったい何をやってるのか。

胸を張って、うちの冷やし中華は、美味しいですよと、言いたいんです。

(だから今日ちょっと寒いんだってば)