混沌の中の結晶

11月5日、近所の大きめの公園は、小さい子を連れたお父さんお母さんでにぎわい、それを当て込んだキッチンカーも数台。アタシと娘様はその中のかき氷を食べました。ノベンバー!!!なんで!!!かき氷!!!なんで夏日!!!

1日でこれだけ寒暖差が大きいと色々体に応えます。多分歳。歳じゃないわ!!!(キレやすくなる老人

そんなよしなしごとは置いときまして。昨今、「この人、何を言ってるんだろう?」って思うこと、よくありません?何か、アテクシも含めまして「自分の言いたいことが解らない人」って多いと思いまして。……いや、自分の言いたいことが「解ってる」人のほうがむしろ少数派なのかもですけど。

でもブログやらSNSやらで「自分の意見」に輪郭を与える機会がこれだけ多いのに。言葉を武器に大金を稼ぎ出す議員さんなんかでも、だらだらと長くて何言ってんだか解らないXの投稿とか、ちょっと酷いのありますよね。

いえ、進次郎さんレベルになればあれはアートなので問題ない(の!!?)ですけど。今日のお話はこの「自分でも何言ってるのか解ってないけど、何かそれっぽいことを言って気持ちよくなるのでそれでいい」というヤツですつまりこのブログですねグサッ!!!

その点、X一般堕落勢(!?)の「帰りたい」「お腹すいた」「眠い」は明瞭ですよね。言いたいこと=意見そのままですものね。この点において、堕落勢は優秀だと思います。

ここで突然イラストや漫画の話になるんですけど、絵を描くとき、最初は「アタリ」「ラフ」といった、線を探す行為から始めます。実はこれ手を動かす前に「どんな絵を描きたいか」というイメージがあるべきなんですが、「絵を描かなきゃ」って場合は、何も考えずにPCモニターに向かいます。

線を「探す」のは、「正解を探す」のではなく「正解っぽく見える線を探す」ってのがタチ悪いんです。この時点で、自分の中に正解をつかみきれて無いんです。

マンガも同じで。「新作を出さなきゃ」だと、結局「何を描きたいか解らないまま漫画を描きはじめる」ことになるんですけど、1枚イラストと違って、漫画は何も考えないで描くのはちょっとハードルが高いです。

エロ漫画はまだ、欲望をそのまま描けるので、描きたいことがあって描く人が多いと思うんですけど、「惰性のイメージ=思いつくままに描く」だけで描くにはやっぱり行為の数ページ程度が限界だと思います。だからコミケ本は8とか10ページ程度が多(やめろ

とすると、この「自分が何をしたいのかを掴む攻略」は2パターンあって、1つは、「帰りたい」「お腹すいた」から始めること。「帰りたい」を描く。実際、面白い漫画ってこういうの多いと思います。

もう一つは、とことん迷って、描いてみて、その中で自分の言いたいことを見つける。つまり、政治家の「地球環境問題は賃金格差の是正を日銀短観に基づいて早急に行った上で重要な検討材料と位置づけし……」っていうベラベラと意味不明な長い論説を喋った後に

「……ということで、私はこれらの問題に、特に興味はありません。議員として偉そうにしていたいのでそれっぽいことを言いました。皆さん私をあがめてください」

って、自分自身でその本質を見つけることです。

自分、2004年からラーバタスを始めています。「女の子とモンスター」をずっと書いています。来年で20年……!?まじか……。最初はとにかく、自分の妄想に輪郭を付けたくて、つまり前述の「惰性イメージ」で充分描けたんですけど、最近は常に「自分は何を描きたいんだ」ってめちゃ自問自答する訳です。

何故モンスターは喋らないのか。何故、女の子は孤独なのか。何故、異種なのか。多分その答えはこの一連のGoToシリーズ(シリーズ名は「MonsterTours!」なんですけど、ウチの作品全部モンスターツアーなのでこれまた困った)の中にあると思っています。

たぶん、自分の中に「お腹すいた」ってのは、あるんだと思います。だから描き続けられるんだと。それに1作作るのに、なんでこんな悩むのか。モンスターと女の子描いとけばそれでいいじゃん!って。……いや、確かに、そのほうが面白い場合もあるんですけど、それだと20年続かないんです。絶対、なんかある筈なんです。

その答えが結局「私をあがめてください」というつまらない結果になってしまうのかもしれません。でもそれならそれで、道中、意味不明な言葉で読み手を退屈させてはいけない。といいつつ、自分は、出来れば目立たないで、好き勝手に好きな事を好きな人と出来てれば満足なので、あんまりあがめて欲しい欲求は無いとは思うんですけど、とにかく、常に姿勢は読み手に向けて在るべきだと考えています。

美歩と仲間たち、そして各ヒロイン達と一緒に、「らばたの結晶」を探す旅は、もう少し続きます。