「実はオレ、前に世界救ってるんだよね……」

朝晩ちょっとづつ涼しいですね!!!そうですね!!スバラです!

さて、先週の高石ですが、Notionに描き散らかしていたものをまとめていました。
らばたの物語の事や、お絵かきの事、難しいアプリの使い方の事、日常の事、武術の事、子育ての事、本当にすごく多岐にわたっていて、これをすべて書き留めておけるこのアプリは便利だなーと思いました。

でも、もっとすごいのは、これらの情報を雑にどっさりほおりこんで、必要とあらばそれを引き出して再生できる私たちの脳です。最近はその再生精度が落ちて来てますが(歳言うな)、みなさんも小学校の通学路、今でも歩けるでしょ?遠くに引っ越している人も、バイクの免許取ったら、とりあえず昔の道、通ってみるでしょ?

自分の小学生の頃は静岡でして、東海道五十三次の旧道が、小学校への通学路でした。大学生になって東京に来て、2年目ぐらいの帰省時に、青春の愛車CB400Fourで子供の頃歩いた道を徘徊しました。こんなアクセル一ひねりで行けてしまう道のりを、朝顔とピアニカとお道具箱持って死にそうになりながら下校したのを思い出していました。残念ながら今は、区画整理で随分景色は変わってしまったようですけど。

で、最近ちょっと、物語の整理をしていたからなのか、頭の中がおかしくなっています(最近?)。はたしてその、下校中の記憶は、本物の記憶でしょうか?だってもう、今、その道ないのよ?

いや、本物の筈です。でも、それを証明するものは、自分の知識や、友達の証言しかなくって。たとえば、自分が鉛筆を折ってしまったら、そこに折れた鉛筆があるから、証拠になるじゃないですか。

でも、昔の自分がこの道を歩いていた証拠は、「俺と一緒にあの道帰ったよな!」って当時の友達に聞くか、ビデオでも録画してもらわないと、自分の記憶の中にしかなくて。いやいや、そのビデオだって今の技術で簡単に捏造できる。さらに技術が進んだときは、もうほんと、すごく簡単にその「証拠」を捏造できますし、「友達の証言」すら作れるかもしれません。

だから、自分が実は、小学生の時に異世界で竜王倒したというリアルな「証拠ビデオ」を、面白くてなんども観ているうちに、「ああ、おれ、コレやったんだな」ってなって、大きくなって「実はさ、オレ……」って言いだしても、本人にとっては正真正銘ホントのことになってるハズです。どうやってやれたかはわからないけど、ドキドキした記憶や、ベキラマ撃った時の衝撃は、「何故か体が覚えている」んです。

そしてこの、捏造された記憶と、昨日作った野菜炒めの経験の記憶は、同じ引き出しに入っています。どっちも同じように引き出せます。

となるとこれ、脳の記憶システムって、おそらく自分たちがこれまで使っていたような使い方は、本当の使い方じゃない可能性があります。もっと違う、メインのシステムがあって、その副産物として記憶の引き出しストレージが与えられたけど、これは、本物も嘘も証明書付きで収納できないものなので、かなりおまけシステムのような気がします。

逆に、このおまけシステムが何故つけられたか、というと、そのメインのシステムでオマケシステムを流用してるからだと思うんですよね。つまり、嘘でもホントでも「自分の糧として養分というかエネルギー的なものに変換できる」。そう、この世界が、虚構か現実かというのは、脳にとってどうでも良い事なんですよ多分。

記憶(とされている)引き出しに、過去の経験(のようなもの)をつめこむ理由は、脳の主目的の為に使用されるエネルギー貯蓄とするなら、そのエネルギーの使用先は多分、この、物質世界ではありません。

体や、手は、この脳を守るためについているにすぎず、ご飯を食べるのは、これらの脳の防衛システムをアクティブ状態に保つためです。

なのに私たちは「物質」に支配されてしまいます。もっと「脳の主目的」について向き合ってみようと思います。

えっおわり?