新作進捗は、今月末リリース予定ね。以上です。それどころじゃなくって(こら)。
5/24は自分の誕生日でした。5/30に西村ちなみさん(キュアビューティ)のLIVEに行ってきました。そこで、今月誕生日の人~!的な流れになって、直接プレゼントを頂く事が出来ました。これを出来事として書くと
れいかちゃんに誕生日プレゼント頂いた
未だに、キーボードを打つ手が震えます。ちなみさんは、普段の声がかなりれいかちゃんなんです。ステージに行く時帰る時、ヒザがわらっちゃって。多分、マイ人生最強です。どのくらいのハッピーかというと看護婦さんとお付き合いしてた頃にナース服着てくれた時と(ゲスいのやめろ
だから。人を好きになることについて語ります。アニメキャラを好きになるのは、一方的に好きになればいい。キャラは自分を嫌いと言わないから、どんな自分であっても嫌われない。でも、人を好きになると、その人に好かれたい、嫌われない自分でいたいと思う。ここで初めて、自分を、鏡にうつす。
自分を鏡にうつすと、そこには、何の魅力も無い、独りよがりの、未熟で幼稚な肉塊が(うぉ)いる。ここがダメ、ここがイヤ。そんなトコばかり目に付く。これでは、あの人に好きになってもらえる訳が無い。なんだコイツは嫌だなぁ。自分って、なんなんだ。結構オチる。
でも、あれ、自分の好きな人は? って考える。いやあの人はカンペキでしょ!って感じるけど、でも、よく考えればダメなところいっぱいある。でも大好き。だから「あれ?ダメなとこは多少あっても、どこかすごい好きになってもらえばいいんじゃね?」ってちょっと光に目を向ける。
若いときは、「ダメをゼロにする」ことをすごく考えていて、多分それは出来ないことだから「お前は失格」って審判されるのが怖かった。万が一、あこがれの人と付き合えたとしても、必死で隠したダメな所がいつかバレるから、本当に好きな人とは付き合えない、と。
だから本当に好きな人に「好きだ」と言う事は、その返事によって自分が裁かれる――そしておそらく勝ち目の無い――ことだと思っていた。
ああ、振り返れば、これまで自分が付き合ってきた人は向こうから来てくれていた(なんだよミサワ自慢かよ)。優し人たちに囲まれて、子供は男にならなくてすんでいた(ひとのせいかよ)。
話し戻す。光を。つまり「自分はココ一生懸命です!」という部分だ。これは、仕事とかが解りやすいし、伝わりやすいと思う。だから、仕事に夢中の人は、輝いて見える。ただ、その夢中さが「世界の貧困をなくす」のと「おっぱいをえろく描く」では、ウケのよさという点ではかなり違うと思う……が、いや、後者をカッコイイと思ってくれる女性は相当に魅力的ではある。っていうか、そういう自分価値観を持ってる人がいい。
僕にはまだ、人生を貫く「仕事」に出会えていないかもしれない。だからやはり……あ、違うぞ。「一生懸命」は、形容詞ではない。名詞だ。今、自分の毎日は、大きく分けて「おっぱいを描くこと」「ちびっ子たちの面倒を見る事」「おばさまたちの健康体操を指導すること」の繰り返しである。この三つの中から、もしくはこの3つ以外に、なんて考えていたけど、そうじゃないぞ。「一生懸命であるかどうか」だ。
「何を」するか、は、それほど問題ではない。「一生懸命かどうか」が、つまり「好きな人に好きになってもらえる」ことなのかも。キモいとこは、極力、治したい。でも、それは、有ってイイ。それよりも、一生懸命の部分に力を入れないことが、かっこ悪いんだ。
誕生日は生まれる日。ハロー新たな日々。The Day OF REBONE。
ちなみさんに、「あなたは魅力的な人ですね」って言ってもらえるように。一生懸命を頑張ろう。そこなのか。