ウェアザタイガー

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もう少し暖かい日が続くそうで、コートを出すかどうするかを迷っています。若い時はドカジャンが最強に暖かいと愛用していたのですが、ちょっと大人になりTPOを考えるようになって、おしゃれなコートを買ってみたりもしました。あ、思い出した。また精神的な話しますよ。趣味か。

で、そうそう、そのコートですよ。自分的にはすごい頑張って購入したのですが、その年の正月に行きたくもない家族集合時に着て行ったら母に「随分安っぽいコート着てるわねフフン」って言われました。ウチ、特に金持ちだった時代は無いのですが、何故か母は一流モノ、ブランド物大好きです。持ってたことあるの全部中古品なんですけどね。

当時はそれを言われた時、なんて言い返して良いか解らなくて。もやっとした、しかし明確に悔しい思いをしました。「アンタそんなに安っぽい服着て情けない」って言われた様に思ったからです。自分がかなり無理をして買ったのは事実ですから、実際稼げてないのですし。え、○万だよコレ、と言った所で同じ土俵ですから、黙ってました。

で、最近も似たようなことがあって。母はその、自分は一流を知ってますセリフは嬉々としてブッこんでくるので、ああ、この人はもう変わらないんだなぁとか思ってまして。でも、何でそれをしたがるのか、ちょっと考えてみまして。なんとなく解りました。母は、誇れるものというか、中心軸がないんです。つまり、自分が、無い。僕が見ても、ウチの母はコレがスゴイ、ってのが、かなり考えてもやっぱり見当たらない……悲しい事ですが。

なんでこう思ったかというと、自分、つまり僕がそうだからです。何かに合わせるように生きてきて、その何か次第でこちらを変えるような生き方。だから、誰かがこちらを頼ってくれてる状態が一番、自分が生きる。「あの人がやりたいって言ってるから」の状態が、一番動きやすい。自分に責任が来ると、対処できないから、失敗したくなくて、手を打て無くなる。自分はコレがすごい、が、実は全部ハリボテじゃないかと。

母のブランド好きやアテクシ一流発言は、そういう自分にトラの威を被せてたんだって解りました。相手をバカにしてるのではなく、自分すごいでしょ、って言ってるのと同じなんだって。もちろん、人のことを考えてないという時点では稚拙ではありますが。これを言わなきゃ、必死で言わなきゃ、自分が無いのがバレる!、って。

この話から創作話に行きますよ。僕は、プリキュアが好きで、プリキュアを描くのが好きで、ツイッターで描いてます。はじめは、ホント、上げる場所が欲しかっただけなんです。が、いつの間にか、あの人の方がウマイ、あの人は人気がある的なものに捕らわれ始めたりしました。だから、それっぽくするようにとか、原画っぽくとかの研究もしました。

これは前述の、何かで自分にトラの威を着せようとしていた事で、じゃあ、自分はどこにあるんだ、って話です。幸い僕は創作から入ったので、らばたは全部、僕そのものです。それを皆さんが評価してくださったのです。もし、トラの威を着た僕を見て喜ぶみなさんなら、最初からオマエじゃなくて本物のトラを見るわ、ってなりますもんね。

先週も似たようなこと描いてますが。らばたは創作です。とにかく、創作は自分。絵も、物語も、答えは自分の中にしかない。それを見てもらって、判断してもらうしかない。もちろん、お客さんに喜んでもらいたいけど、これはどうかな、あれはどうかなって先延ばしにして何も作らないでいたら、判断すらしてもらえない。

もう長いことやってきて、そうそう、大きな好みの変更は無い。貧乳のよさを知ったくらい(結構な変更じゃねえか)。ちゃんと向き合おう。自分が可愛いと思うもの。イイと思うもの。新作のこと。ちょっと今週は触れないで進捗無いから(言ってんじゃねえか